いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2013年06月23日

イワナガ姫とサクヤ姫

昨日22日、ユネスコの世界遺産委員会は富士山を世界文化遺産に
登録する事を決定した。

これは明らかに何らかのサインだ。

当初、反対意見も有った三保松原も含まれる事となった。
三保松原を除外するな。と強く主張したのはドイツだったそうだ。
さすがは、スサノオの子だ。万事善く心得ている。

我が霊峰富士にはコノハナノサクヤ姫が御鎮座しクニを守護されている。

ユネスコと言えば、闇の世界権力の重要な洗脳教育機関である。
追い詰められた奴らも、いよいよサクヤ姫の御稜威にすがろうという事か。
が、穢れは悉く討ち祓われるのみだ。今さら命乞いをしても無駄だぞ。

ところで、百人一首の序歌には王仁博士の作と伝えられる歌が詠まれている。

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

この歌は、応神天皇崩御の後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と
大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合っていたものの、
結局、難波高津宮において大鷦鷯尊が仁徳天皇として即位した事を寿ぎ、
詠まれたとされている。ちなみに「この花」とは梅と言われている。

が、いらつのみこが、おおさぎ尊に暗殺されたという説もあり、
いらつのみこの師である王仁博士が抗議の意を込めて詠んだ。とも謂われている。

この花が梅を意味するとは言うが、春には桜も咲く。

そう。咲くやこの花とはコノハナノサクヤ姫に他ならない。

百人一首とは奇怪な歌集である。古事記同様、暗号が散りばめられている。
序歌にサクヤ姫を詠んだ歌を持って来たのには、何か重要な意味があるのだ。
仁徳天皇即位の裏には、壬申の乱に匹敵する、皇統の危機があった筈だ。

危機を救ったのはサクヤ姫である。

そして今、危急存亡の瀬戸際にある人類を救うのはサクヤ姫かも知れない。

奴らは、その事を理解している。
永きに渡り富士山の登録を拒んできた奴らが豹変したのには訳がある。

同時に、サクヤ姫と共に大切な御役目を担うのは、イワナガ姫である。
ニ二ギ以降の、すめらみことの寿命を縮めた事は事実らしい。怖い怖い。

イワナガ姫は別名をコケムス姫という。
君が代に詠われている通り「こけのむすまで」クニを守護されるのだ。

榛名神社の奥宮、榛名山=榛名富士の山頂の榛名富士山神社には、
そのイワナガ姫とサクヤ姫が揃って祀られている。

ハルナの御用とは両姫神の顕現かも知れない。






posted by 柿添先生 at 11:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月06日

尖閣の件

野中広務元官房長官による「尖閣棚上げ」発言が物議を醸している。

日中国交正常化時に尖閣問題は棚上げにすることで両国が合意したそうだが、
当時の状況を鑑みれば、それは至極当然だろう。
しかし、国有化された現在、何故、カビの生えた古い話を持ち出してくるのか
妙な男である。
彼の出自は原日本人系であるはず。国益を損なう言動は厳に慎むべきである。

尖閣に関し、巷では誤った情報が出回っている。
そろそろ話をすべきかも知れない。

私は、古賀辰四郎から数えて4代後の子孫である。
古賀家と当家の縁は既に述べた。
http://kakizoe.seesaa.net/article/318275124.html?1370506199

そもそも、辰四郎は家出同然で故郷、大川を出て行った。
親戚は皆心配していたが、ある時、茶の商いを始めた。と連絡が有り、
一同は安堵した。が、世間で言われている程、財を為したわけではない。

尖閣の開拓は、辰四郎の個人的野心などでは決して無い。
鰹節の加工なら石垣島の方がはるかに楽だ。
条件の悪過ぎる尖閣で行なう必要は無い。

それは、明治政府の密命であった。
戦略上の要衝の地である尖閣諸島は何としても押さえる必要があった。

明治政府は、大川の干拓と新田開発に功績の有った古賀家に、
開拓の許可と莫大な資金を与えた。

何故、古賀家なのか。
ここからは私の想像だが、古賀家の主君、立花家による働き掛けがあったやも
知れぬ。筑後とは、その様な土地柄である。立花家の末裔は麻生太郎だ。

さらに、明治政府に尖閣確保を命じたのは大英帝国に他ならない。
国有では無く私有とする様、知恵を付けたのも奴らだろう。

これから仕掛ける戦争に備え、尖閣を橋頭保とする必要があったのだ。
その戦争とは、日露戦争である。

戦後、米国は沖縄を支配している時も、尖閣には手を付けなかった。
尖閣開拓の経緯を知っていたからだ。

以上の話を、田中角栄と野中広務が知っていたかどうかは判らない。


posted by 柿添先生 at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする