いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2014年08月18日

今年も福知山が大変だ

昨年の8月、福知山の花火大会で大爆発事故が起こった。
翌月には、台風18号による豪雨で市内の広範囲が浸水した。
私は、これに対し、火と水(カミ)の祓ではないかと記した。
その記事は、神々の御仕業に触れる事となるので、現在は非公開となっているが、
一つ述べておかねばならない事柄があるので、敢えて記事化する。

今年もまた、福知山が大水害に見舞われた。
たまたま昨年と気象条件が似通っていたからそうなった。
という、ありきたりな説明で、納得してはいけない。

福知山市には、元伊勢内宮とされる皇大神社と、元伊勢外宮とされる豊受大神社が
揃って鎮座している。
さらに、天岩戸神社も存在する。ここは皇大神社の奥宮とされ、
皇大神社、豊受大神社とともに元伊勢三社と呼ばれている。
此処には伊勢信仰の原点が色濃く残っている。

そういえば、福知山を一時、治めていたのは明智光秀=天海僧正だった。
天海さんは家康の命により、上野寛永寺の莫大な資金を投入し榛名神社を再興した。
それは、当時の家康が群馬者に入れ替わっていた故だ。

榛名神社は人為的に創られた伊勢信仰とは一線を画するウガヤの文明圏である。

伊勢信仰の巣窟から出てきた天海さんが、ウガヤの社を立て直すとは興味深い。

おっと、話がそれた。私が言いたいのは榛名の事では無い。

福知山は、かつての丹波国である。
丹波から生まれ出でた怪人といえば、そう、出口王仁三郎である。

出口なおが火なら、王仁三郎は水である。カミの戦。水の祓は止む事は無い。

王仁三郎に宿る神はスサノオ。スサノオとアマテラスの和解は未だならず。
伊勢信仰=アマテラスの原点たる福知山の祓は執拗に行われるだろう。

王仁三郎の御神業は未だ続く。

天変地異は鎮魂の道場にして、大いなる禊場である。

さて、何の為の、鎮魂か?

それは、艮の金神=国常立尊である。

榛名湖には、切り刻まれた国常立尊の體の一部が沈んでいる。
大本関係者によれば綾部の泉と榛名湖は繋がっているそうだ。

榛名神社の奥宮の御祭神は国常立尊。
さらにニギハヤヒ、イワナガさん、サクヤ姫が脇を固めている。

故に榛名神社再興の担い手として福知山から来た天海さんが選ばれたのだ。
入れ替わった家康=世良田さんは、この事を熟知していたに相違無い。

新田一族、恐るべし。群馬、恐るべし。

またまた、話がそれた。

天津神=伊勢=カムヤマト朝によって封印された神々は必ず復活する。

本来の日本へ還る為に。神々と生きとし生けるものの楽園を再び現出する為に。




posted by 柿添先生 at 21:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

初めにクニありき

本日は、終戦の日である。

今年は69回目で来年は70回目だとか、やたら数字を気にするバカがいるが、
歳を数えているだけでは、何も解決しない。

我々は敗けたのだ。1000年経っても敗けた事実は消えない。
本来なら、もういっぺん戦って勝つしかないのだ。

我国を取り巻く情勢が、日に日に厳しくなっている現状を
御英霊は、どの様な想いで御覧になっておられるだろうか。


ツランの中核国家たるロシアが、根なし草の邪悪な勢力の攻撃に晒されている。
それは、ロシアが神国日本と共に歩むことを良しとしない勢力である。

国を破壊され流浪の民となった邪悪な勢力は、豊かな国に寄生し養分を吸い取り
吸い付くした末に、再び新たな獲物を求めて流浪する。

我々の想像を超えた世界がそこに在る。

イザナギとイザナミが、みとのまぐわいを遊ばして、初めに産んだのはクニだった。
温暖な気候と葦の生い茂る肥沃な大地と豊かな漁場を持つクニを、神よりも先に
産んだのだ。

後から、産まれてくる神々と、我ら神の子たる人間と生きとし生けるものが
何一つ不自由しないように豊かなクニを産んでおいて下さったのだ。

クニとは、闘争の末に打ち立てられたものなどでは決して無い。

神国日本は、初めから存在していたが故に、我々日本人はクニを守るという
意識が希薄といえば希薄だった。

大東亜戦争の最中、クニを守る気概に欠けた出来損ないも少なからず存在した。
現在も、依然として生き残っている。穢れの極みという他無い。

今年は、我国にとって、大きな転換点となるだろう。

クニを守るために戦う準備に着手したという意味で。

戦争を引き起こすのは根なし草である。
奴らが存在する限り、戦いの準備は怠り無く進めるべし。
posted by 柿添先生 at 00:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月07日

武蔵国一宮 氷川神社考

明治3年、大教宣布の詔により神官と僧侶の統括が為され、
明治6年、大教院が設立されたが、仏教側が離脱し、明治8年に大教院は
解散を余儀無くされた。
同年、全国の神官が神道事務局(神道大教の前身)を設立し神道教化に乗り出した
ものの、程無くして、事務局の御神殿に出雲の大国主大神を祀るか否かで、
伊勢派と出雲派の争いとなった。(祭神論争) 
本来ならば我国の霊的防衛の観点からは、顕幽の主祭神を共に祀るのが道理である。
平田派は、その様に主張し同調する神官も多かったにも関わらず、
結局、明治天皇の勅裁により、大国主大神は祀られる事は無かった。
出雲にとっては国譲りに続く、大きな屈辱であった。

何故、明治天皇は出雲の神を忌避されたのか。

カムヤマト朝はアマテラスの霊統であり、皇室は、スサノオの霊統を畏れている。
としか謂い様が無い。それは現代の皇室においても同様である。

先日、高円宮典子様と出雲国造千家国麿氏の御結婚が発表されたが、
アマテラスとスサノオの和解は未だ為されてはいない。

皇居の北方、さいたま市大宮区に、皇室が畏れるスサノオを祀った氷川神社が在る。
大宮氷川神社は東京と埼玉県内の200余りの氷川神社の総本社である。
本来の氷川信仰は見沼の水神信仰であったと伝えられるが、出雲国造の支族である
武蔵国造が第13代成務天皇(景行天皇の皇子)の御世に大宮の地にスサノオを勧請し、
創建された。

氷川とは出雲の簸川(ひかわ)の意である。

出雲族が何故、この地に出雲の神を祀ったか定かでないが、
氷川神社の摂社の門客人神社には蝦夷の守護神アラハバキが客人神として祀られている。
カムヤマト朝によって制圧された蝦夷の神を、同じくカムヤマト朝に虐げられ続けてきた
出雲族が祀るとは、心情的には理解できる。
但し、明治天皇は大宮氷川神社を勅祭社と定め、以後、皇室は行幸を続けている。
ところで、氷川神社の宮司家、東角井家は物部氏の流れを汲むと伝えられている。
とすれば、大宮氷川神社が勅祭社として優遇されたのも当然と言えば当然である。

物部の祖はニギハヤヒである。スサノオ、アラハバキ、ニギハヤヒ。
いずれもニ二ギ降臨以前の源日本の神々である。
大宮氷川神社の存在意義が今後、重要性を増す事は必至である。

余談だが、大宮氷川神社の東側200m程の場所に、尖閣列島の前地主、栗原國起邸がある。
栗原家は大宮の大地主である。彼に一時、尖閣が託された理由も氷川信仰と関係あるはず。
posted by 柿添先生 at 22:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする