いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2013年10月12日

群馬、恐るべし

榛名神社が天台宗上野寛永寺の莫大な資金によって再興された事は既に述べた。
榛名神社立て直しに当たり、陣頭指揮を執ったのは明智光秀=天海僧正=橘である
事も既に述べた。
私の先祖、中村監物が、筑後の橘公頼の築いた蒲池城の城家老であった事も
既に述べた。これで筑後とハルナを結ぶ線が繋がった事も既に述べた。

本日は、もう一つ興味深い話をする。

榛名神社の学頭ならびに別当寺は中里見の光明寺である。
室田の群馬銀行から、自転車でも遠くはない。
我が孝善坊の先祖にも別当が存在する。僧侶もいたわけだ。
御先祖は上野、浅草、吉原あたりで遊び呆けていたかも知れぬ。
学頭や別当といった用語は自分で調べるべし。

天台宗里見山光明寺は里見氏の菩提寺である。
里見氏は新田義重の庶長子・新田義俊(里見太郎)を初代とする武家である。
光明寺には里見義俊が葬られている。
里見義俊の次男は田中義清と名乗り、義清の子孫、田中与兵衛は千利休の父だ。
そう、里見義俊は利休の太祖だ。なんと利休は群馬者だったのだ。

ちなみに裏千家は、この事を正式に認めている。

さらに、田中家の一派は越後へと流れた。彼らは田中角栄の先祖とされる。
これが事実ならば、角栄は総理総裁に成るべくして成ったという事だ。

話がそれた。
里見氏、田中氏の母体となった新田氏から分かれた武家には、世良田氏がいる。
その子孫、世良田二郎三郎元信が永禄6年(1563)に家康とすり替わったとされる。

これが事実ならば、天正19年(1591年)、秀吉が利休に切腹を迫ったのは、
同族の家康と利休が通じていた事を察知した為ではなかろうか。

利休は単なる茶人では無い。千家の家紋は銀杏が一枚。裏皇室=ウガヤの工作員である。

新田=徳川も然り。故に、カムヤマト朝の幕引きを助けたのだ。

群馬=上野国という地は実に奥が深い。

長州と並び、総理大臣を多く輩出してもいる。

今般の立て替え立て直しに当たり、再び動き出すやも知れぬ。

ハルナの御用も、その一環か。





posted by 柿添先生 at 21:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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