2014年05月14日

不運な善人と幸運な悪人

古今東西、誰が聞いても納得出来ない話がある。

誠を尽くし日々を生きてきた何の落ち度もない善人が、
突然の不幸に見舞われたり、人を人とも思わない様な
不誠実な生き方をしている悪人なのに、やる事為す事
上手くいったりすることがある。

万象は神の摂理(みはかり)であり神意の顕われである。
しかし、摂理によって善人が甚大な被害を被る事に対しては
やりきれなさを感ぜずにはいられない。
実は、この事は古より多くの人々が抱いてきた疑問である。

何故、善人が損をして悪人が得をする。などというおかしな
事が起こり得るのか?
今まで世界の様々な宗教が、この難問に答えようとしてきたが
まだ結論には至っていない。

我が国に於いては、江戸後期の国学者が一応の解答を与えた。
本居宣長は、善人が不幸になり悪人が幸福になるのは
悪神のしわざであるとした。
これに対し、平田篤胤は、人が今、生きている現実世界(顕世)
における幸不幸は神の御所為(みしわざ)であり、全く以って
予測不可能で善人悪人を問わず起こり得るものとしている。
万象は全て神の試みの中にあり、神意は誰にも慮る事は
できない。という事か。

諸君。

神は、突然の不幸に襲われても自分を見失わず、
より一層奮闘努力する者を正当に評価する。
神は、これは。と思う人間に過酷な試練を与え、それを見事に
乗り越えてきた者を、更なる高みに引き上げるのだ。

自己と他者を比較して一喜一憂しているばかりでは福は逃げる。
比較には何の果実も無い。残るのは、ねたみのみだ。
ねたみが憎しみを産み、魔に魅入られて自滅する。

如何なる境遇にあろうとも、己が神の子である事を忘れる事なく、
神より与えられた御役目を誠実に果たし、常に清く明るく直く正しい道を歩め。
posted by 柿添先生 at 11:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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