いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2016年03月09日

神とは何か

洋の東西を問わず、かたくなな無神論者を除いて人間は太古の昔から
己の人生において常に人智を超えた大いなる存在、すなわち「神」を意識して
片時も忘れる事が無かった。と言っても過言ではない。
人はさしたる努力もする事無しに自己の願望の実現を神に託す習性があるらしく、
先行き不透明な時代になればなるほど、ますます神にすがりつくようになる。
近年、我国では新年の初詣の参拝者が年々増加している。
現金と言ってしまえばそれまでだが、不安を抱えた人々が増えている状況が窺える。

さて、神とは何であろうか。

まず、神の語源は、定説としては南北朝時代の神道家、
忌部正道が『神代巻口訣(じんだいのまきくけつ)』に
「神は常に高天原にあるが故に宇会(うえ)を嘉牟(かみ)と言う」と記した
ことから「上」が「神」となったとされているが、私見としては正直に申し上げて
賛成は出来ない。
言霊の見地からはカ行音は潜在を表し、マ行音は発生や誕生、すなわち顕現を表す。
このようにカとミは正反対の概念を持ち、神もまた陰陽二気による万象示現の理によって
産み出された。
カは火をミは水を表し、火と水は生命誕生の原動力であり、
神の語源を解くカギは言霊にある。

次に、神の概念であるが、一神教世界における神とは全知全能完全無欠な万物の
造物主にして唯一無二という単純明快な存在である。
しかし、多神教世界ではそうはいかない。
殊に我国には八百万と表現される如く多種多様な神々が存在する。
諸君もご存知の通り、神の子たる日本人は人間のみならず山川草木森羅万象全てに
神の御霊が宿ると信じ、様々な自然物や自然現象そのものを神として崇めてきた。
しかも、時に人間の生活を脅かすものにさえ畏敬の念を持ち、決して拒絶する事無しに
神として祀り、共に生きようとする柔軟な姿勢を貫いてきた。
日本人にとっての神は抽象的観念的存在ではなく、実際に目に見える具体的実在の中に
存在するものとして認識されている。

さて、神の語源と概念を踏まえて、神とは何ものであるかを考察したい。
本居宣長は、その著書『古事記伝』において「尋常(つね)ならずすぐれたる徳のありて、
可畏き物を迦󠄀微とは云うなり」と記し、超自然的にして畏敬の念を抱かせるものならば、
事物であれ現象であれ、それらはみな神であるとしているが、僭越ながら今一つ説得力に
欠けていると思うのは私だけではあるまい。
我国には妖怪、もののけ等、得体のしれない霊的な怪物が存在し、時には神に
勝るとも劣らない霊力を発動し、民衆から畏れられていた事実もあり、
宣長による神の定義は現実に即していない嫌いがある。

同じ畏敬の念を抱かせるものでも、神と怪物は切り離して考えるべきである。

神と霊的な怪物との分岐点は公と私に収斂される。
神には私心が無い。ひたすら我が子たる生きとし生けるもの全ての繁栄と幸福を願い、
至高の慈悲、久遠の仁愛、鉄石の真実を具現し給い、常に恵みの光を降り注いでおられるのだ。
そして、神の御心の随(まにま)に現実社会において、我らを守護されておられるのが
スメラミコトである。
これに対し、霊的な怪物は我慾と穢れの極みであり神に代わって世界を支配せんとし、
邪な人間を使嗾して既存の秩序の破壊を目論むものである。

この様に、本来、神とは公においてのみ存在し、広く人類社会を正しく導き守護するものである。
神の世界の拡がりは広大無辺であり、太陽、月、北極星といった天体から、山、海、河川、田畑等、
生物に恵みを与える根拠たる自然や、火、雷、風などの現象に加えて、言葉、音、色、数の中にも
神は坐す。さらに、神道に特徴的な思想として、所謂、人間神が存在する。
これは、公に徹し神の如く崇高な御働きを為し、善く國體の精華を発揮せられた人間を、
帰幽後、神として崇めるものである。楠正成、東郷平八郎、乃木希典を筆頭に、
靖国に眠る御英霊等、我国は偉人たるわけみたまを神として篤く顕彰してきた。

天之御中主神の思いはかりにより天地が開け、産霊二柱を経てイザナミ大神に至る
十七柱の神々が協同し大宇宙の創造を為し、イザナギ大神とイザナミ大神が、
みとのまぐわいを遊ばしてクニを生み、カミを生み、産まれ出でた神々は、
更に新たな神を産み、森羅万象生きとし生けるものを産み育て修理(つくり)固め成す
御神業に邁進された。
我ら人間も、その過程の中で誕生し、畏れ多くも神々と共に国造りのお役目を賜ったのだ。
にもかかわらず、神々の霊統を受くる日本人は、刀折れ矢尽き、目下失意の只中に在る。

日本人よ。案ずるなかれ。希望を捨てるのはまだ早い。神は常に我らと共に在る。
明日を信じ、夢を信じて、かんながらの大道を歩め。
posted by 柿添先生 at 12:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。