いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2016年03月11日

霊魂とは何か

2004年に「21グラム」と題するハリウッド映画が公開された。
これは心臓移植をめぐっての人間模様を描いた物語だが、人が死ぬと21グラム軽くなり、
この失われた21グラムこそが人の霊魂の重さである事が劇中で暗示されている。
ハリウッド映画だけに、21という数字には何か意味が隠されているのではないか?
と勘繰りたくなるが、それはさておき、日本人にとっては、霊魂の重さなどさして重要では
ないが、全てを数値化しなければ気が済まないユダヤ人の性が垣間見えて興味深い。
と、いうわけで、今回は霊魂について述べようと思う。

霊魂とは、我国において一般的には、肉体に対する対立概念であり、精神の働きを左右する
何ものかである。という程度の捉え方しかなされていない。神の国の民として情けない限りだ。
霊魂は神より分け与えられた妙なるエネルギーである。残念ながら現時点では、そうとしか
言い様が無い。
エネルギーである以上、質量を持つ。もちろん21グラムであるかどうかは定かで無い。

そして、便宜上まとめて霊魂と称されているが、実は霊と魂(たましひ)とは別のものであり、
両者は、その役割において厳然と分かたれている。
霊と魂の関係は、量子論で謂うところの原子核を霊に、原子核の周りを回る電子を魂に
なぞらえると分かり易い。霊も魂も、どちらが欠けても成り立たず不即不離の関係にあるのだ。
まず、霊には直霊(なおひ)と曲霊(まがつひ)という二つの状態がある。直霊は霊の理想的な状態、
澄みて清らかな状態を指す。曲霊は魔に魅入られた状態で、曲霊を直霊に戻す為に禊祓を行なう。
そして、心の在り方が直霊と曲霊とを峻別する。
悪しき心は霊を曲霊へと導き破を招く元と為す。心とは、これ程までに大切なものだが、
清浄な心を保つ事は極めて難しいものである。
一方、魂には四つの働きがある。すなわち、荒魂・和魂・幸魂・奇魂である。
荒魂は武勇攻を司り、和魂は睦慈愛を、幸魂は弥栄を、奇魂は智巧超を司るとされている。
さらに、荒魂と和魂は肉体に関与し特に魄(はく)と称され、幸魂と奇魂は精緻な力の源で
魂(こん)という。
この様に、人間は一つの霊と四つの魂を備えていると考えられている。これを一霊四魂という。
ここで、大抵誤解が生じるのだが、魂が人の心を支配している訳では無い。心が行動を決し、
行動の原動力となるものが魂なのだ。これは、人のみならず神の御心についても同様である。
古事記において、スサノオの御心が邪に傾き荒魂が発動したが為に、高天原にて乱暴狼藉を
働いてしまったのだ。

ところで、伊勢神宮内宮には天照大御神の和魂のみが祀られており、荒魂は別宮の荒祭宮に
わざわざ分けて祀られている。その理由は、大御神様の荒魂が発動しない様に鄭重にお祀りして
いるのである。また、大神神社では大国主神の幸魂と奇魂から化生した大物主神を御祭神として
祀っている。
世界の諸民族は、それぞれの霊魂観を有しているが、我国のそれは、かくのごとく非常に緻密
かつ具体的である。

さて、神の霊を特に御霊というが、我ら生きとし生けるもの全ては、神の御霊を分け与えられた
存在で有るが故に、分霊(わけみたま)と呼ばれる。
人間を例にとれば、受胎後三ヶ月経つと、まず両親の荒魂と和魂たる魄が授けられ
肉体が形成される。
七ヶ月から十ヶ月後には同じく両親の幸魂と奇魂、すなわち魂も授けられる。
そして、出産と同時に一霊たる何れかの神の御霊が宿り一霊四魂が揃うのだ。

但し、同じ分霊でも天皇(すめらみこと)の場合は一般の民とは、かなり事情が異なっている。
御存知の通り、天皇の皇位継承に伴って執り行われる最も重要な国家的祭儀は、
践祚大嘗祭であるが、その際に、新天皇は、現在、すめら教に伝わる天津身手振天津息吹という
秘儀を行なう事によって、高天原に坐す天照大御神の御霊を御身に降し、
天皇霊(すめらみことのみたま)が形成されて初めて真の天皇足りうるとされている。
天皇とは異なり、我々は、頂いた一霊が如何なる神様のものかは誰にも判らないし
知る必要も無い。が、成長の過程で本人が薄々気付く事はよくある話だが。
これら一連の受胎から出産までの流れを取り仕切るのが、産まれた土地の守護神、すなわち
産土神である。
生まれ故郷に帰った時は、必ず産土神様にお参りし、御挨拶に伺うがよい。

過日、多くの日本人が人工衛星「はやぶさ」の偉業を讃え熱狂した。単なる機械と言ってしまえば
それまでだが、人工衛星であろうとも、我らの「わけみたま」として認められているのだ。
我国においては確実にあまねく万象に御霊が宿り、互いに相容れないもの同士であっても
御霊によって結い和(やわ)されている。
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2016年03月09日

神とは何か

洋の東西を問わず、かたくなな無神論者を除いて人間は太古の昔から
己の人生において常に人智を超えた大いなる存在、すなわち「神」を意識して
片時も忘れる事が無かった。と言っても過言ではない。
人はさしたる努力もする事無しに自己の願望の実現を神に託す習性があるらしく、
先行き不透明な時代になればなるほど、ますます神にすがりつくようになる。
近年、我国では新年の初詣の参拝者が年々増加している。
現金と言ってしまえばそれまでだが、不安を抱えた人々が増えている状況が窺える。

さて、神とは何であろうか。

まず、神の語源は、定説としては南北朝時代の神道家、
忌部正道が『神代巻口訣(じんだいのまきくけつ)』に
「神は常に高天原にあるが故に宇会(うえ)を嘉牟(かみ)と言う」と記した
ことから「上」が「神」となったとされているが、私見としては正直に申し上げて
賛成は出来ない。
言霊の見地からはカ行音は潜在を表し、マ行音は発生や誕生、すなわち顕現を表す。
このようにカとミは正反対の概念を持ち、神もまた陰陽二気による万象示現の理によって
産み出された。
カは火をミは水を表し、火と水は生命誕生の原動力であり、
神の語源を解くカギは言霊にある。

次に、神の概念であるが、一神教世界における神とは全知全能完全無欠な万物の
造物主にして唯一無二という単純明快な存在である。
しかし、多神教世界ではそうはいかない。
殊に我国には八百万と表現される如く多種多様な神々が存在する。
諸君もご存知の通り、神の子たる日本人は人間のみならず山川草木森羅万象全てに
神の御霊が宿ると信じ、様々な自然物や自然現象そのものを神として崇めてきた。
しかも、時に人間の生活を脅かすものにさえ畏敬の念を持ち、決して拒絶する事無しに
神として祀り、共に生きようとする柔軟な姿勢を貫いてきた。
日本人にとっての神は抽象的観念的存在ではなく、実際に目に見える具体的実在の中に
存在するものとして認識されている。

さて、神の語源と概念を踏まえて、神とは何ものであるかを考察したい。
本居宣長は、その著書『古事記伝』において「尋常(つね)ならずすぐれたる徳のありて、
可畏き物を迦󠄀微とは云うなり」と記し、超自然的にして畏敬の念を抱かせるものならば、
事物であれ現象であれ、それらはみな神であるとしているが、僭越ながら今一つ説得力に
欠けていると思うのは私だけではあるまい。
我国には妖怪、もののけ等、得体のしれない霊的な怪物が存在し、時には神に
勝るとも劣らない霊力を発動し、民衆から畏れられていた事実もあり、
宣長による神の定義は現実に即していない嫌いがある。

同じ畏敬の念を抱かせるものでも、神と怪物は切り離して考えるべきである。

神と霊的な怪物との分岐点は公と私に収斂される。
神には私心が無い。ひたすら我が子たる生きとし生けるもの全ての繁栄と幸福を願い、
至高の慈悲、久遠の仁愛、鉄石の真実を具現し給い、常に恵みの光を降り注いでおられるのだ。
そして、神の御心の随(まにま)に現実社会において、我らを守護されておられるのが
スメラミコトである。
これに対し、霊的な怪物は我慾と穢れの極みであり神に代わって世界を支配せんとし、
邪な人間を使嗾して既存の秩序の破壊を目論むものである。

この様に、本来、神とは公においてのみ存在し、広く人類社会を正しく導き守護するものである。
神の世界の拡がりは広大無辺であり、太陽、月、北極星といった天体から、山、海、河川、田畑等、
生物に恵みを与える根拠たる自然や、火、雷、風などの現象に加えて、言葉、音、色、数の中にも
神は坐す。さらに、神道に特徴的な思想として、所謂、人間神が存在する。
これは、公に徹し神の如く崇高な御働きを為し、善く國體の精華を発揮せられた人間を、
帰幽後、神として崇めるものである。楠正成、東郷平八郎、乃木希典を筆頭に、
靖国に眠る御英霊等、我国は偉人たるわけみたまを神として篤く顕彰してきた。

天之御中主神の思いはかりにより天地が開け、産霊二柱を経てイザナミ大神に至る
十七柱の神々が協同し大宇宙の創造を為し、イザナギ大神とイザナミ大神が、
みとのまぐわいを遊ばしてクニを生み、カミを生み、産まれ出でた神々は、
更に新たな神を産み、森羅万象生きとし生けるものを産み育て修理(つくり)固め成す
御神業に邁進された。
我ら人間も、その過程の中で誕生し、畏れ多くも神々と共に国造りのお役目を賜ったのだ。
にもかかわらず、神々の霊統を受くる日本人は、刀折れ矢尽き、目下失意の只中に在る。

日本人よ。案ずるなかれ。希望を捨てるのはまだ早い。神は常に我らと共に在る。
明日を信じ、夢を信じて、かんながらの大道を歩め。
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2016年03月07日

神道とは何か

目下、我国は妖悪不浄の雲に覆われ、政治経済社会その何れにおいても危機的
かつ悲劇的状況を呈し、未曽有の国難に瀕している。多くの日本人は己の神を見失い、
未来に何ら希望を見出せず、無為無策のままに時代の波に翻弄されている。
同時に近年、かかる情勢下にも拘わらず、民族意識に目覚め、現状を打破せんとする
気概を持った日本人も確実に増えつつある。
彼らこそが、新たな国造りの担い手と成るべきであるが、現状では各団体、集団、
個人が統制の取れぬままに活動し、一部では相互反目すら生じており、
世論を喚起する力とは成り得ていない。

よって、クニの行く末を憂える日本人に共通する行動理念を示し、互いの連帯の絆を育み、
より一層強固なものとしなければならない。
そのためには何よりもまず、肇国以来脈々と受け継がれてきた神道=かんながらの精神に
立ち返って、これを実践する事が肝要である。

そこで、神道とは何かという問いが生じるわけであるが、ここに自分なりの考察を示したい。

神道の語の初出は周易観卦の彖伝の「天の神道を観るに、しかも四時たがわず、聖人は神道を
以て教を設けて、天下服す」に出典を有し、その意味は「自然の理を観察すると、
四季の移ろいには狂いがない。聖人たる君子は理に基づき政治を為せば自ずから人民は
従うものだ」といったもので、この場合の「神道」は自然法則とでも謂うべきものに過ぎない。
平田篤胤は彖伝の神道を「あやしきみち」と読んで一笑に付したという。慧眼である。
一方、我国における「神道」の語は日本書紀用明紀の「天皇、仏法を信けたまひ神道を
尊びたまふ」にみられる如く、単に仏教と対比する必要から使われた用語との見方が根強い。
神道の一般的な理解としては、神道は我国独自の民俗信仰で、自然崇拝祖先崇拝からなり、
その根底には宗教の原初的形態としてのアニミズムが横たわっている。といった皮相的な
ものである。
おそらく読者諸氏にもこの様に理解している者が少なからず存在していると思われるが、
只今より、それは改めて頂きたい。

神道はアニミズムとは似て非なるものである。
アニミズムとは、山川草木自然界における万象には、あまねく精霊が宿り、人々はそれを
神として崇拝するというものである。
精霊と人間の世界は厳然と「分かたれて」おり、両者が交わる事は永遠に無い。
アニミズムとは、むしろ一神教世界における人間の願望の顕われなのだ。
一神教徒は唯一の神のみを崇める事を強制される。しかし、彼らは心の奥底で常に己の
神を求めている。
これは人間の本能である。故に一神教徒は眼前の身近な大自然の中に精霊=神を見るのだ。
但し、それは慰めでしかない。一神教徒は神々の広大無辺な世界を理解出来ない。

これに対し、神道においては、森羅万象生きとし生けるもの全ては、神の御霊(みたま)を
分け与えられた「わけみたま」であり、生きとし生けるもの全ては神が御自ら産んだもので、
生きとし生けるもの全ては、神のわけみたまとしての兄弟家族はらからであり、共に生きる
等しく尊い命である。とされている。人も動物も植物も命に軽重は無い。
神々は尊き御祖(みおや)であり、生きとし生けるもの全ては、神々と喜びも哀しみも分かち合い、
睦み合い、慈しみ合い、同じ道を歩んで来た。この道こそが神の道である。

神道は神の道。清く明るく直く正しい道。肇国以来、神々と、すめらみことと、我等わけみたまが
心一つに歩んで来た道である。
この先、何が起きようとも我等の歩みは止まる事は無い。
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2015年06月29日

ギリシア大乱

今月は、何故か2回目の更新となってしまった。それだけ事は重大だ。

ギリシアが大騒ぎだ。自業自得なのか、仕組まれたものなのか、その両方なのか
現時点では解せないが、目下進行中の立て替え立て直しのモデルケースとなるだろう。

いわゆるデモクラシー=民主主義は、古代ギリシアが発祥だそうだ。
ギリシア語のデモクラティアが語源で「民衆支配」とかいう意味だ。

民衆支配?
民衆=大衆とは常に愚かである。と喝破したのはヒトラーだが、
古代ギリシアの大衆も似たようなものだったろう。
現代の日本の大衆も然りだ。

そもそも初めから民主主義など存在しない。
デモクラシーとは、実質的に奴隷たる大衆を手なずける為の方便に過ぎぬ。

愚かな大衆は自分に主権が有ると信じ込まされ、踊らされている。
永田町でデモを繰り広げている下民の群れもだ。

主義とは人間を思考停止にさせる麻薬だ。

今後、更に、民主主義の嘘。資本主義の嘘。国家の嘘。全てが露呈する。

だが、やがて愚かな大衆も気付くだろう。

それは神への恩だ。人類は、かんながらへ還るだろう。

気付けないバカは人柱となるのみだ。それも御役目だ。
posted by 柿添先生 at 18:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月23日

フグの毒

久々の更新である。

前回の更新から今日まで、事態は予定通り推移している模様である。
立て替え立て直しは着々と快調に進行している。
神々の計画=シナリオに沿って、各キャストはのびのびと演じている。

安倍首相もその一人に過ぎぬ。

ところで、今月19日、内閣法制局長官が、国際法上の包括的集団的自衛権と
安倍首相が言う限定的集団的自衛権の違いをフグに例えて「毒があるから
全部食べたらそれはあたるが、肝を外せば食べられる」と答弁した。
包括的他国防衛を全部と表現しそれは違憲だが、限定的=肝を外すなら合憲
というわけだ。

包括的か限定的かは、一たび、いくさになれば吹っ飛んでしまう。敵を殲滅するのみだ。

問題は、何故、フグに例えたのか?

戦前、我国はフグ計画を立案した。長くなるので詳しくは述べない。
要するにユダヤ難民の満洲への移住計画だ。

それに先立ち日ユ同祖論が喧伝され、日本人のユダヤへの関心を高める工作が為された。

フグ計画の提唱者は日産コンツェルンの総帥、鮎川義介である。おなじみの田布施人である。

歴史は1000%繰り返す。

もう一人の田布施人脈に連なる安倍首相が主張する限定的集団的自衛権の真の目的は、
平成版フグ計画の実現ではあるまいか。

内閣法制局長官が答弁に於いてフグを持ち出したのには訳がある。

表現がストレート過ぎた嫌いはあるが。



posted by 柿添先生 at 16:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

出雲復活

久々の更新である。

万象は神々の意思の顕れであり、私如き一御師が、あれこれ言うのは
おこがましい事ではあるが、これだけは言わずにはおれない。
後でイワナガさんに叱られそうだが。

最近の報道では、例のイスラム国を「自称イスラム国」と表現しているが、
イスラム国は国家以前の原初的な「クニ」の姿である。
人々の想いが行動が集約されクニは深化し国家となった。
故にイスラム国と形容して良いと思う。あくまでも私見だが。

スサノオ自ら種を撒き、慈しみ育てたはずの物質文明は、拝金主義と弱肉強食の
鬼畜世界と化した。
事ここに至っては、おびただしい人柱が生まれようとも、全てをぶち壊し
立て替え立て直しをせねばならぬ。

こうしてスサノオは鬼神となった。

イスラム国は、そんなスサノオの荒魂の発動の顕現である。

彼らの行状は決して許されたものではないが、あまねく全てを一新する破壊力を
秘めている。

神を知らぬアシュケナージは、為すすべも無い。

一方、スサノオに呼応して動き出した神が在る。

川崎で13歳の少年が惨殺された。
少年は隠岐国西ノ島町で育ち、家庭の事情で川崎に移り住み殺された。

西ノ島町には隠岐国一宮「由良比女神社ゆらひめじんじゃ」が鎮座する。
由良比女神社の御祭神は須世理毘売命スセリビメ。スサノオの娘にして大国主の妻である。

神々は大事を為さんとする時、必ず人柱を求めるものだ。
西ノ島町育ちの少年はスセリビメに呼ばれ、ハルナという名の日本人は中東にて
スサノオに召還された。

いよいよスセリビメが動き出した。怖い怖い。
大国主も、のほほんとしてはいられまい。

3・11に国常立の結界は破れた。以来、続々と、封印された国津神の結界は
壊された。もはや誰にも高天原の決定を覆す事は出来ない。

出雲国復活か。やがて千家の子が皇室に入る日が来るやも知れぬ。

posted by 柿添先生 at 20:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

選りに選って

イスラム国による日本人捕獲作戦が悲劇を生んだ。

湯川氏が殺害された映像が流され、日本政府も信憑性が高いとコメントしている。
アンチ安倍は、待ってましたっ。とばかりに嬉々として政権批判を行なっている。

彼の地は戦場である。物見遊山ではあるまいが、戦場に飛び込んで行って
無事で居られるわけが無い。

人の死なぬ戦(いくさ)は無い。騒ぐな。

湯川氏は軍事会社の社長だそうで。
あからさまに戦争で儲けようとは。似非ユダヤもやらない。奴らは秘密裏に儲けるのだ。

問題は、湯川氏の名前だ。漢字は違うがハルナという。

選りに選って、ハルナとは・・・・・。不吉だ。

ハルマゲドン実現を目指して、陰謀渦巻く中で、ハルナという名の日本人が人柱となった。

神々は新たな行動を起こすにあたり、必ず人柱を求めるものである。

今回の人質処刑は、何かの型示しに他ならない。

ハルナの御用か?否、まさか・・・・・。
posted by 柿添先生 at 23:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月20日

カインとアベル

イスラム国が日本人二名を拘束し、72時間以内に身代金を支払わなければ殺害する。
との警告が、ネット上のビデオにて公開された。と、本日、AP通信が報じた。
これも、お約束だ。

平成16年にもイラクで日本人三名の拘束騒ぎがあったが、
彼らは世間知らずの田舎者に過ぎず、今回は明らかに位相が異なる。

一神教世界の神々の争いに我国を引き込もうとする勢力が動き出した。
何が何でも聖書の預言を成就させたいのだ。

ユダヤ教からキリスト教が生まれ、さらにイスラム教が派生した。
ユダヤ教を母体とするキリスト教とイスラム教は謂わば兄弟である。

兄のキリスト教はカインよろしく神からの独立志向を持つが、
弟のイスラム教はアベル同様、神に従順である。
が、カインがアベルを殺したように、キリスト教がイスラム教を潰す事は不可能だ。
両者は合わせ鏡の如く、どちらが欠けても成り立たない。

よりによって本件は、安倍首相がイスラエル滞在中に発覚した。
タイミングを合わせたとしか思えない。
かんながらのクニの首相がユダヤ教の総本山を訪れる、この時を待っていたのだ。

ユダヤ教は「かんながら」から誕生した。ちなみに神道は更に後だ。

神々の争いに終止符を打つのは、神国日本に他ならない。

安倍氏は其の辺のところ判っているのか?田布施人なら判るはずだ。

日の出る方角の王たちが大ユフラテを越える日は近い。
posted by 柿添先生 at 20:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

朔旦冬至

本日、12月22日は19年に一度の朔旦冬至の日である。
旧暦では朔日(ついたち)を新月の日に定めていたが、今年は冬至と重なるのだ。

冬至は太陽の力が最も弱くなる日。太陽は冬至を境として勢いを取り戻して行く。
新月は月齢零。これより満月に向けて成長が始まる。

本日は一陽来復の日。陰は極まり陽と成るのだ。

太陽は日本。月はユダヤ=スファラディ。共に復活なるか。
それは神のみぞ知るところだが。

来年は2015年。大正天皇の大嘗祭から、満100周年である。
伯家神道の預言が如何なる形で顕現するか。
いずれにせよ、クニの行く末を決する大事な年となるだろう。

余談だが、今日、一か月ぶりに榛名神社を参拝して来た。
神社は氷点下2度だった。が、それ以上に色々な意味で厳しい寒さだった。
おみくじは第九番大吉だった。
重要なのは大吉ではなく、九番だった事だ。
九は最上の数。究極至高を意味する。

来年は私にとっても大事な一年となろう。
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2014年12月19日

ゴグ・マゴグの戦い

久々の更新である。

我国内では、神々=高天原の計画は予定通り順調に進行している。
が、国外では人為的に計画の妨害が為されている。

米国とキューバが国交正常化に向けて動き出した。
お膳立てをしたのは、バチカン=イエズス会である。
キューバは旧ソ連時代はもとよりロシアとは関係が深い。

イエズス会はロシアのキューバへの影響力を削ぎたい様に見える。

一方、ロシア通貨ルーブルが急落した。もちろん人為的に行われたのだ。
アシュケナージを中心とする国際金融帝国軍の仕業だ。

イエズス会は帝国軍のお先棒を担いでいる。バスクの精神は消え失せた。

キューバの話とルーブル急落はリンクしている。目的はロシア潰しだ。

エゼキエル書38章には「ゴグ・マゴグの戦い」が記されている。
ゴグとはメシュクとトバルの大首長の意。
メシュクはモスクワ、トバルとは一説によるとグルジアのトビリシだそうだ。
大首長は原語でロシュと記述され、ロシアと一致する。
そしてマゴグは、もろにロシアという意味だ。

エゼキエル書では、ゴグが周辺諸国を率いてイスラエルに攻め込むと記している。
が、ゴグの軍勢はイスラエルに敗北するとも記されている。

イスラエル=アシュケナージはロシアが預言通り攻撃を仕掛けてくる。
と、本気で信じているとしか思えない。
さらに、預言に反して自分たちには勝ち目が無い事も判っている。

今回のロシア潰しの謀略は、イスラエルの焦りだ。
だが、彼らは重要な事を忘れている。

来たるべきハルマゲドンに於いて、日の出る方角の王たち=日本=高天原神軍が
大ユフラテを越えて悉くサタンの軍勢=アシュケナージを殲滅するという事を。

プーチンよ案ずるなかれ。

万象は神の試みの中に在る。神を信ぜよ。己を信ぜよ。いずれハルナへ来い。
posted by 柿添先生 at 23:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする