いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2016年03月07日

神道とは何か

目下、我国は妖悪不浄の雲に覆われ、政治経済社会その何れにおいても危機的
かつ悲劇的状況を呈し、未曽有の国難に瀕している。多くの日本人は己の神を見失い、
未来に何ら希望を見出せず、無為無策のままに時代の波に翻弄されている。
同時に近年、かかる情勢下にも拘わらず、民族意識に目覚め、現状を打破せんとする
気概を持った日本人も確実に増えつつある。
彼らこそが、新たな国造りの担い手と成るべきであるが、現状では各団体、集団、
個人が統制の取れぬままに活動し、一部では相互反目すら生じており、
世論を喚起する力とは成り得ていない。

よって、クニの行く末を憂える日本人に共通する行動理念を示し、互いの連帯の絆を育み、
より一層強固なものとしなければならない。
そのためには何よりもまず、肇国以来脈々と受け継がれてきた神道=かんながらの精神に
立ち返って、これを実践する事が肝要である。

そこで、神道とは何かという問いが生じるわけであるが、ここに自分なりの考察を示したい。

神道の語の初出は周易観卦の彖伝の「天の神道を観るに、しかも四時たがわず、聖人は神道を
以て教を設けて、天下服す」に出典を有し、その意味は「自然の理を観察すると、
四季の移ろいには狂いがない。聖人たる君子は理に基づき政治を為せば自ずから人民は
従うものだ」といったもので、この場合の「神道」は自然法則とでも謂うべきものに過ぎない。
平田篤胤は彖伝の神道を「あやしきみち」と読んで一笑に付したという。慧眼である。
一方、我国における「神道」の語は日本書紀用明紀の「天皇、仏法を信けたまひ神道を
尊びたまふ」にみられる如く、単に仏教と対比する必要から使われた用語との見方が根強い。
神道の一般的な理解としては、神道は我国独自の民俗信仰で、自然崇拝祖先崇拝からなり、
その根底には宗教の原初的形態としてのアニミズムが横たわっている。といった皮相的な
ものである。
おそらく読者諸氏にもこの様に理解している者が少なからず存在していると思われるが、
只今より、それは改めて頂きたい。

神道はアニミズムとは似て非なるものである。
アニミズムとは、山川草木自然界における万象には、あまねく精霊が宿り、人々はそれを
神として崇拝するというものである。
精霊と人間の世界は厳然と「分かたれて」おり、両者が交わる事は永遠に無い。
アニミズムとは、むしろ一神教世界における人間の願望の顕われなのだ。
一神教徒は唯一の神のみを崇める事を強制される。しかし、彼らは心の奥底で常に己の
神を求めている。
これは人間の本能である。故に一神教徒は眼前の身近な大自然の中に精霊=神を見るのだ。
但し、それは慰めでしかない。一神教徒は神々の広大無辺な世界を理解出来ない。

これに対し、神道においては、森羅万象生きとし生けるもの全ては、神の御霊(みたま)を
分け与えられた「わけみたま」であり、生きとし生けるもの全ては神が御自ら産んだもので、
生きとし生けるもの全ては、神のわけみたまとしての兄弟家族はらからであり、共に生きる
等しく尊い命である。とされている。人も動物も植物も命に軽重は無い。
神々は尊き御祖(みおや)であり、生きとし生けるもの全ては、神々と喜びも哀しみも分かち合い、
睦み合い、慈しみ合い、同じ道を歩んで来た。この道こそが神の道である。

神道は神の道。清く明るく直く正しい道。肇国以来、神々と、すめらみことと、我等わけみたまが
心一つに歩んで来た道である。
この先、何が起きようとも我等の歩みは止まる事は無い。
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2015年06月29日

ギリシア大乱

今月は、何故か2回目の更新となってしまった。それだけ事は重大だ。

ギリシアが大騒ぎだ。自業自得なのか、仕組まれたものなのか、その両方なのか
現時点では解せないが、目下進行中の立て替え立て直しのモデルケースとなるだろう。

いわゆるデモクラシー=民主主義は、古代ギリシアが発祥だそうだ。
ギリシア語のデモクラティアが語源で「民衆支配」とかいう意味だ。

民衆支配?
民衆=大衆とは常に愚かである。と喝破したのはヒトラーだが、
古代ギリシアの大衆も似たようなものだったろう。
現代の日本の大衆も然りだ。

そもそも初めから民主主義など存在しない。
デモクラシーとは、実質的に奴隷たる大衆を手なずける為の方便に過ぎぬ。

愚かな大衆は自分に主権が有ると信じ込まされ、踊らされている。
永田町でデモを繰り広げている下民の群れもだ。

主義とは人間を思考停止にさせる麻薬だ。

今後、更に、民主主義の嘘。資本主義の嘘。国家の嘘。全てが露呈する。

だが、やがて愚かな大衆も気付くだろう。

それは神への恩だ。人類は、かんながらへ還るだろう。

気付けないバカは人柱となるのみだ。それも御役目だ。
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2015年06月23日

フグの毒

久々の更新である。

前回の更新から今日まで、事態は予定通り推移している模様である。
立て替え立て直しは着々と快調に進行している。
神々の計画=シナリオに沿って、各キャストはのびのびと演じている。

安倍首相もその一人に過ぎぬ。

ところで、今月19日、内閣法制局長官が、国際法上の包括的集団的自衛権と
安倍首相が言う限定的集団的自衛権の違いをフグに例えて「毒があるから
全部食べたらそれはあたるが、肝を外せば食べられる」と答弁した。
包括的他国防衛を全部と表現しそれは違憲だが、限定的=肝を外すなら合憲
というわけだ。

包括的か限定的かは、一たび、いくさになれば吹っ飛んでしまう。敵を殲滅するのみだ。

問題は、何故、フグに例えたのか?

戦前、我国はフグ計画を立案した。長くなるので詳しくは述べない。
要するにユダヤ難民の満洲への移住計画だ。

それに先立ち日ユ同祖論が喧伝され、日本人のユダヤへの関心を高める工作が為された。

フグ計画の提唱者は日産コンツェルンの総帥、鮎川義介である。おなじみの田布施人である。

歴史は1000%繰り返す。

もう一人の田布施人脈に連なる安倍首相が主張する限定的集団的自衛権の真の目的は、
平成版フグ計画の実現ではあるまいか。

内閣法制局長官が答弁に於いてフグを持ち出したのには訳がある。

表現がストレート過ぎた嫌いはあるが。



posted by 柿添先生 at 16:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

出雲復活

久々の更新である。

万象は神々の意思の顕れであり、私如き一御師が、あれこれ言うのは
おこがましい事ではあるが、これだけは言わずにはおれない。
後でイワナガさんに叱られそうだが。

最近の報道では、例のイスラム国を「自称イスラム国」と表現しているが、
イスラム国は国家以前の原初的な「クニ」の姿である。
人々の想いが行動が集約されクニは深化し国家となった。
故にイスラム国と形容して良いと思う。あくまでも私見だが。

スサノオ自ら種を撒き、慈しみ育てたはずの物質文明は、拝金主義と弱肉強食の
鬼畜世界と化した。
事ここに至っては、おびただしい人柱が生まれようとも、全てをぶち壊し
立て替え立て直しをせねばならぬ。

こうしてスサノオは鬼神となった。

イスラム国は、そんなスサノオの荒魂の発動の顕現である。

彼らの行状は決して許されたものではないが、あまねく全てを一新する破壊力を
秘めている。

神を知らぬアシュケナージは、為すすべも無い。

一方、スサノオに呼応して動き出した神が在る。

川崎で13歳の少年が惨殺された。
少年は隠岐国西ノ島町で育ち、家庭の事情で川崎に移り住み殺された。

西ノ島町には隠岐国一宮「由良比女神社ゆらひめじんじゃ」が鎮座する。
由良比女神社の御祭神は須世理毘売命スセリビメ。スサノオの娘にして大国主の妻である。

神々は大事を為さんとする時、必ず人柱を求めるものだ。
西ノ島町育ちの少年はスセリビメに呼ばれ、ハルナという名の日本人は中東にて
スサノオに召還された。

いよいよスセリビメが動き出した。怖い怖い。
大国主も、のほほんとしてはいられまい。

3・11に国常立の結界は破れた。以来、続々と、封印された国津神の結界は
壊された。もはや誰にも高天原の決定を覆す事は出来ない。

出雲国復活か。やがて千家の子が皇室に入る日が来るやも知れぬ。

posted by 柿添先生 at 20:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

選りに選って

イスラム国による日本人捕獲作戦が悲劇を生んだ。

湯川氏が殺害された映像が流され、日本政府も信憑性が高いとコメントしている。
アンチ安倍は、待ってましたっ。とばかりに嬉々として政権批判を行なっている。

彼の地は戦場である。物見遊山ではあるまいが、戦場に飛び込んで行って
無事で居られるわけが無い。

人の死なぬ戦(いくさ)は無い。騒ぐな。

湯川氏は軍事会社の社長だそうで。
あからさまに戦争で儲けようとは。似非ユダヤもやらない。奴らは秘密裏に儲けるのだ。

問題は、湯川氏の名前だ。漢字は違うがハルナという。

選りに選って、ハルナとは・・・・・。不吉だ。

ハルマゲドン実現を目指して、陰謀渦巻く中で、ハルナという名の日本人が人柱となった。

神々は新たな行動を起こすにあたり、必ず人柱を求めるものである。

今回の人質処刑は、何かの型示しに他ならない。

ハルナの御用か?否、まさか・・・・・。
posted by 柿添先生 at 23:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月20日

カインとアベル

イスラム国が日本人二名を拘束し、72時間以内に身代金を支払わなければ殺害する。
との警告が、ネット上のビデオにて公開された。と、本日、AP通信が報じた。
これも、お約束だ。

平成16年にもイラクで日本人三名の拘束騒ぎがあったが、
彼らは世間知らずの田舎者に過ぎず、今回は明らかに位相が異なる。

一神教世界の神々の争いに我国を引き込もうとする勢力が動き出した。
何が何でも聖書の預言を成就させたいのだ。

ユダヤ教からキリスト教が生まれ、さらにイスラム教が派生した。
ユダヤ教を母体とするキリスト教とイスラム教は謂わば兄弟である。

兄のキリスト教はカインよろしく神からの独立志向を持つが、
弟のイスラム教はアベル同様、神に従順である。
が、カインがアベルを殺したように、キリスト教がイスラム教を潰す事は不可能だ。
両者は合わせ鏡の如く、どちらが欠けても成り立たない。

よりによって本件は、安倍首相がイスラエル滞在中に発覚した。
タイミングを合わせたとしか思えない。
かんながらのクニの首相がユダヤ教の総本山を訪れる、この時を待っていたのだ。

ユダヤ教は「かんながら」から誕生した。ちなみに神道は更に後だ。

神々の争いに終止符を打つのは、神国日本に他ならない。

安倍氏は其の辺のところ判っているのか?田布施人なら判るはずだ。

日の出る方角の王たちが大ユフラテを越える日は近い。
posted by 柿添先生 at 20:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月22日

朔旦冬至

本日、12月22日は19年に一度の朔旦冬至の日である。
旧暦では朔日(ついたち)を新月の日に定めていたが、今年は冬至と重なるのだ。

冬至は太陽の力が最も弱くなる日。太陽は冬至を境として勢いを取り戻して行く。
新月は月齢零。これより満月に向けて成長が始まる。

本日は一陽来復の日。陰は極まり陽と成るのだ。

太陽は日本。月はユダヤ=スファラディ。共に復活なるか。
それは神のみぞ知るところだが。

来年は2015年。大正天皇の大嘗祭から、満100周年である。
伯家神道の預言が如何なる形で顕現するか。
いずれにせよ、クニの行く末を決する大事な年となるだろう。

余談だが、今日、一か月ぶりに榛名神社を参拝して来た。
神社は氷点下2度だった。が、それ以上に色々な意味で厳しい寒さだった。
おみくじは第九番大吉だった。
重要なのは大吉ではなく、九番だった事だ。
九は最上の数。究極至高を意味する。

来年は私にとっても大事な一年となろう。
posted by 柿添先生 at 22:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月19日

ゴグ・マゴグの戦い

久々の更新である。

我国内では、神々=高天原の計画は予定通り順調に進行している。
が、国外では人為的に計画の妨害が為されている。

米国とキューバが国交正常化に向けて動き出した。
お膳立てをしたのは、バチカン=イエズス会である。
キューバは旧ソ連時代はもとよりロシアとは関係が深い。

イエズス会はロシアのキューバへの影響力を削ぎたい様に見える。

一方、ロシア通貨ルーブルが急落した。もちろん人為的に行われたのだ。
アシュケナージを中心とする国際金融帝国軍の仕業だ。

イエズス会は帝国軍のお先棒を担いでいる。バスクの精神は消え失せた。

キューバの話とルーブル急落はリンクしている。目的はロシア潰しだ。

エゼキエル書38章には「ゴグ・マゴグの戦い」が記されている。
ゴグとはメシュクとトバルの大首長の意。
メシュクはモスクワ、トバルとは一説によるとグルジアのトビリシだそうだ。
大首長は原語でロシュと記述され、ロシアと一致する。
そしてマゴグは、もろにロシアという意味だ。

エゼキエル書では、ゴグが周辺諸国を率いてイスラエルに攻め込むと記している。
が、ゴグの軍勢はイスラエルに敗北するとも記されている。

イスラエル=アシュケナージはロシアが預言通り攻撃を仕掛けてくる。
と、本気で信じているとしか思えない。
さらに、預言に反して自分たちには勝ち目が無い事も判っている。

今回のロシア潰しの謀略は、イスラエルの焦りだ。
だが、彼らは重要な事を忘れている。

来たるべきハルマゲドンに於いて、日の出る方角の王たち=日本=高天原神軍が
大ユフラテを越えて悉くサタンの軍勢=アシュケナージを殲滅するという事を。

プーチンよ案ずるなかれ。

万象は神の試みの中に在る。神を信ぜよ。己を信ぜよ。いずれハルナへ来い。
posted by 柿添先生 at 23:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月25日

神道の根源

我国を代表する哲学者の西田幾多郎ならびに和辻哲郎は、共に仏教思想に
強い影響を受けていた。
東洋思想を下敷きにした彼らの哲学は西洋哲学と一線を画すものではある。
が、仏教は一神教的な価値観を有し、自己と異なる他者への寛容の精神は
不十分であった。
そこには、仏教とそれ以外の思想を分けて、あくまでも仏教の優位性を強調する
立場が見受けられる。
これは、キリスト教原理主義に見られる二元的価値観に近い思想である。

二元的価値観とは、二元論に立脚した価値観であり、多元的価値観とは、
多元論に立脚した価値観のことを言う。
二元論とは、もともと哲学の用語で、世界に存在するあらゆる事象は、すべて二つの
原理で成り立っているとする。
これに対して、多元論とは、二つ以上の複数の原理の存在を認めるものである。
我国の価値の根源を為す神道思想そのものである。

そして、近代の哲学は、この二元論を支持する立場にある。
デカルトは、その著書「省察」において「我思う。故に我あり。」と述べた。

「思う」という行為は意識であり、精神である。「我あり」とは、精神とは独立した
物質である存在の「我」を認識したという事である。
つまり「我」の中には精神と物質の二つの存在が確認される。
これを、心物二元論と言う。

近代の哲学は、デカルトの心物二元論を契機として発展してきた。
と言っても過言ではない。
しかし、現実世界の全てのことがらを、精神と物質のたった二つの原理で
説明することは不可能である。
さらに、原理が二つしかない場合、一方を肯定すれば、他方を否定せざるを得なくなり、
否定された側は、必ず復讐に打って出る。
このように、二元論に立脚した二元的価値観の世界は、常に異なる二つの原理の
闘争の場となる危険性を孕んでいる。

現在、世界では、パレスチナにおいてユダヤ教とイスラム教が、中東ではイスラム教と
キリスト教が戦争の只中にある。
これら一神教はまさに二元論の世界観しか持ち合わせてはいない。
事実、歴史的に見て、大戦争の勃発はすべて、一神教世界に端を発している。

神道においては、世界を、異なるたった二つの原理の対決の場とは捉えず、
多様な原理が等しく並び立つ場である。と考える。
これらは互いに切磋琢磨し合い、高め合い融和し、さらに新しい原理を生み出し、
豊かな人類社会を創造する原動力となる。
我が国に大陸から仏教が伝来した際、神道はその大いなる寛容の精神でもって、
これを迎え、共に生きてきた。

この「共に生きる」という考え方こそが、神道の重要なテーマである。
神道においては、森羅万象生きとし生けるもの全てに、神が宿っているとされているが、
この本当の意味は、森羅万象生きとし生けるもの全てが、平等に尊重されるべき貴い
命であるということなのだ。
全てとは、まさに全てである。人間も動物も植物も、山や海など地球の自然も大宇宙の
星たちも、あまねく全てである。

神道の世界においては、あらゆる人種も宗教も否定されることはない。
一神教世界は二元的価値観から脱却し、神道の多元的価値観に学ぶべきだ。

神道に於いては、そもそも民族に優劣の差を認めない。
個々の民族は、それぞれの伝統・文化・宗教を堅持し互いの原理を尊重し、
平和のうちに共存する。ということが在るべき姿であると考える。

これを可能にするのは、神道の大いなる寛容の精神に他ならない。

神道に於いては、異なる価値観は神々によって結ばれ、世界は、多様な原理が
等しく並び立つ場であると考える。
そして、それぞれの原理は、平和な交流によって高め合い、融和し、
さらに新しい原理を生み出すものである。
新しい原理こそが、豊かな人類社会を創造する原動力となる。

ところが現実の世界は、これとは全く逆の状況にあるのだ。

神道は、現在、確実に破滅へ向かって突き進む人類にとって、最後の希望であり、
今後、我々の向かうべき地平と拠って立つべき処を明確に示している。



posted by 柿添先生 at 00:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月28日

大噴火

昨日9月27日、木曽御嶽山が噴火した。
大量の噴煙と火山灰が、多数の登山者に深刻な被害を及ぼした。

実は、今月の3日に、仲間の御師と共に富士山に登った。
というのも、来年は登山出来なくなるとの情報を得た為、
急遽、登る事にしたのだ。
富士山に先んじて、御嶽山が噴火するとは思いも寄らなかったが、
これも、昨年より続く、火と水と風の祓の一環かも知れない。

御嶽山王滝口頂上に鎮座する御嶽神社奥社の御祭神は、
国常立尊・大己貴命・少彦名命の三柱である。
国土の始源神たる国常立尊と天孫降臨以前にクニの礎を築いた出雲の神が
御嶽山を守護されているのだ。

3・11東日本大震災によって天津神に封印された国常立尊の結界は決壊した。

結界を壊したのは、火と水と風の神である。それ以後、国常立尊の御仕業の
遂行を助けるべく、数々の祓を続けて来たのだ。

今回の大噴火は、国常立尊の始動の合図である。

昨年の、出雲と伊勢の同時遷宮により、天津神の優位は完全に崩れた。
これは第二の国譲りといっても過言では無い。
国造家と皇族の婚姻が、それを象徴している。

これより国常立尊を総大将として国津神による立て替え立て直しが加速するだろう。

カムヤマト朝が、その御役目を終える日も近い。

posted by 柿添先生 at 23:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする