いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2014年08月07日

武蔵国一宮 氷川神社考

明治3年、大教宣布の詔により神官と僧侶の統括が為され、
明治6年、大教院が設立されたが、仏教側が離脱し、明治8年に大教院は
解散を余儀無くされた。
同年、全国の神官が神道事務局(神道大教の前身)を設立し神道教化に乗り出した
ものの、程無くして、事務局の御神殿に出雲の大国主大神を祀るか否かで、
伊勢派と出雲派の争いとなった。(祭神論争) 
本来ならば我国の霊的防衛の観点からは、顕幽の主祭神を共に祀るのが道理である。
平田派は、その様に主張し同調する神官も多かったにも関わらず、
結局、明治天皇の勅裁により、大国主大神は祀られる事は無かった。
出雲にとっては国譲りに続く、大きな屈辱であった。

何故、明治天皇は出雲の神を忌避されたのか。

カムヤマト朝はアマテラスの霊統であり、皇室は、スサノオの霊統を畏れている。
としか謂い様が無い。それは現代の皇室においても同様である。

先日、高円宮典子様と出雲国造千家国麿氏の御結婚が発表されたが、
アマテラスとスサノオの和解は未だ為されてはいない。

皇居の北方、さいたま市大宮区に、皇室が畏れるスサノオを祀った氷川神社が在る。
大宮氷川神社は東京と埼玉県内の200余りの氷川神社の総本社である。
本来の氷川信仰は見沼の水神信仰であったと伝えられるが、出雲国造の支族である
武蔵国造が第13代成務天皇(景行天皇の皇子)の御世に大宮の地にスサノオを勧請し、
創建された。

氷川とは出雲の簸川(ひかわ)の意である。

出雲族が何故、この地に出雲の神を祀ったか定かでないが、
氷川神社の摂社の門客人神社には蝦夷の守護神アラハバキが客人神として祀られている。
カムヤマト朝によって制圧された蝦夷の神を、同じくカムヤマト朝に虐げられ続けてきた
出雲族が祀るとは、心情的には理解できる。
但し、明治天皇は大宮氷川神社を勅祭社と定め、以後、皇室は行幸を続けている。
ところで、氷川神社の宮司家、東角井家は物部氏の流れを汲むと伝えられている。
とすれば、大宮氷川神社が勅祭社として優遇されたのも当然と言えば当然である。

物部の祖はニギハヤヒである。スサノオ、アラハバキ、ニギハヤヒ。
いずれもニ二ギ降臨以前の源日本の神々である。
大宮氷川神社の存在意義が今後、重要性を増す事は必至である。

余談だが、大宮氷川神社の東側200m程の場所に、尖閣列島の前地主、栗原國起邸がある。
栗原家は大宮の大地主である。彼に一時、尖閣が託された理由も氷川信仰と関係あるはず。
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2014年05月14日

不運な善人と幸運な悪人

古今東西、誰が聞いても納得出来ない話がある。

誠を尽くし日々を生きてきた何の落ち度もない善人が、
突然の不幸に見舞われたり、人を人とも思わない様な
不誠実な生き方をしている悪人なのに、やる事為す事
上手くいったりすることがある。

万象は神の摂理(みはかり)であり神意の顕われである。
しかし、摂理によって善人が甚大な被害を被る事に対しては
やりきれなさを感ぜずにはいられない。
実は、この事は古より多くの人々が抱いてきた疑問である。

何故、善人が損をして悪人が得をする。などというおかしな
事が起こり得るのか?
今まで世界の様々な宗教が、この難問に答えようとしてきたが
まだ結論には至っていない。

我が国に於いては、江戸後期の国学者が一応の解答を与えた。
本居宣長は、善人が不幸になり悪人が幸福になるのは
悪神のしわざであるとした。
これに対し、平田篤胤は、人が今、生きている現実世界(顕世)
における幸不幸は神の御所為(みしわざ)であり、全く以って
予測不可能で善人悪人を問わず起こり得るものとしている。
万象は全て神の試みの中にあり、神意は誰にも慮る事は
できない。という事か。

諸君。

神は、突然の不幸に襲われても自分を見失わず、
より一層奮闘努力する者を正当に評価する。
神は、これは。と思う人間に過酷な試練を与え、それを見事に
乗り越えてきた者を、更なる高みに引き上げるのだ。

自己と他者を比較して一喜一憂しているばかりでは福は逃げる。
比較には何の果実も無い。残るのは、ねたみのみだ。
ねたみが憎しみを産み、魔に魅入られて自滅する。

如何なる境遇にあろうとも、己が神の子である事を忘れる事なく、
神より与えられた御役目を誠実に果たし、常に清く明るく直く正しい道を歩め。
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2014年02月01日

かんながら

あっという間に1月も過ぎ去り、2月に入った。
早いものだ。今年もあと11カ月しか無い。

目下、世間は都知事選の話題で持切りである。

これについては、論評しない。
結果は神のみぞ知る。と、いうよりも神々が決めるのだ。

最近、おぼろげながら、判って来た事がある。

顕世に於ける全ての事象は悉く神々が決するという事を。

天変地異。人の生き死に。戦の勝敗。四季の巡りに至るまで
神々の意思によって、秩序は保たれている。

斯様な状態の中で、神の子たる生きとし生けるものの在るべき姿が、
諸君にも判るだろう。

在るべき姿とは「かんながら」である。

かんながらとは、神様の仰せられた御言(おことば)と、神様の遊ばされた
御行為(おんしわざ)を手本として、私たち人間が、自分勝手の心を捨てて、
一途に神様の御言御行為を実践することを旨として生きる道である。

この道は、神々と神の子が共に歩む道であり、「敬神」「尊皇」「愛国」
として具現化され、神国日本の復活を招来するものである。

人の一生は、宇宙の星の一瞬のきらめきよりもさらに短い。

我慾を捨て、喜びも哀しみも全てを神々と共に分かち合い、
与えられたお役目を果たすべく、誠を尽くせ。

大事な事は神々が決める。全てを委ね、限り有る今を生きよ。
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2014年01月02日

過去が未来を創るのだ。

新年明けまして、おめでとうございます。

真に目出度いとは言えぬが、兎にも角にも年は明けた。

伯家神道によれば、天皇の即位儀礼である大嘗祭に於いて、
代々皇室に伝わる或る秘儀が、100年間、行なわれないと、
皇統は断絶する。という。

1912年7月30日、大正天皇は明治天皇の崩御により践祚した。
大嘗祭は1915年11月14日と15日に行なわれた。
1915年(大正4年)に秘儀が行なわれたかどうかは定かでない。
昭和天皇ならびに今上陛下の大嘗祭についても、同様である。

今年は、その100年目に当たる。

また、阪神淡路大震災ならびに地下鉄サリン事件があった1995年からは
20年目に当たる。
神宮の式年遷宮同様、霊的には20年とは一つの区切りの単位である。

イザナギとイザナミが、みとのまぐわいを遊ばして産んだ一番目のクニ=淡路島を
震源とする大地震は神戸を揺るがし、神の戸は開かれた。
新たなる位相への転換に際して、神々は生贄を要求する。
サリンによって人柱となった、わけみたまは、立派に、そのお役目を果たされた。

伯家の予言と霊的な単位の20年が重なる今年は、一つの答えが出る事となろう。

諸君。

今般の立て替え立て直しに当たり、実は我々の想いが大きく作用する。

心一つに、それぞれの過去を悔い改めよ。

中今を、誠を尽くし生きる事は勿論大切だ。
が、それだけでは、より良い未来は現出し得ない。

過去を改め正さなければ未来は好転しない。

未来は現在が創るのでは無い。過去が未来を決するのだ。

我々日本人が辿ってきた道筋を、検証し反省し二度と同じ轍は踏むまいと、
神々に誓うが良い。

神々に随うならば、まつろわぬものは悉く討ち祓うが良い。

禊祓は、まだまだ不十分である。
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2013年10月12日

群馬、恐るべし

榛名神社が天台宗上野寛永寺の莫大な資金によって再興された事は既に述べた。
榛名神社立て直しに当たり、陣頭指揮を執ったのは明智光秀=天海僧正=橘である
事も既に述べた。
私の先祖、中村監物が、筑後の橘公頼の築いた蒲池城の城家老であった事も
既に述べた。これで筑後とハルナを結ぶ線が繋がった事も既に述べた。

本日は、もう一つ興味深い話をする。

榛名神社の学頭ならびに別当寺は中里見の光明寺である。
室田の群馬銀行から、自転車でも遠くはない。
我が孝善坊の先祖にも別当が存在する。僧侶もいたわけだ。
御先祖は上野、浅草、吉原あたりで遊び呆けていたかも知れぬ。
学頭や別当といった用語は自分で調べるべし。

天台宗里見山光明寺は里見氏の菩提寺である。
里見氏は新田義重の庶長子・新田義俊(里見太郎)を初代とする武家である。
光明寺には里見義俊が葬られている。
里見義俊の次男は田中義清と名乗り、義清の子孫、田中与兵衛は千利休の父だ。
そう、里見義俊は利休の太祖だ。なんと利休は群馬者だったのだ。

ちなみに裏千家は、この事を正式に認めている。

さらに、田中家の一派は越後へと流れた。彼らは田中角栄の先祖とされる。
これが事実ならば、角栄は総理総裁に成るべくして成ったという事だ。

話がそれた。
里見氏、田中氏の母体となった新田氏から分かれた武家には、世良田氏がいる。
その子孫、世良田二郎三郎元信が永禄6年(1563)に家康とすり替わったとされる。

これが事実ならば、天正19年(1591年)、秀吉が利休に切腹を迫ったのは、
同族の家康と利休が通じていた事を察知した為ではなかろうか。

利休は単なる茶人では無い。千家の家紋は銀杏が一枚。裏皇室=ウガヤの工作員である。

新田=徳川も然り。故に、カムヤマト朝の幕引きを助けたのだ。

群馬=上野国という地は実に奥が深い。

長州と並び、総理大臣を多く輩出してもいる。

今般の立て替え立て直しに当たり、再び動き出すやも知れぬ。

ハルナの御用も、その一環か。





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2013年09月17日

また福知山だ

台風18号は各地に大きな被害を与えた後、温帯低気圧に変化し
大空の彼方へと消えた。

今回の水の禊が如何なる結果をもたらすか注視したい。

ところで、京都府福知山市では由良川が氾濫した。
現地の浸水被害が各メディアで報じられている。

福知山といえば、先月、同市の花火大会で大爆発事故が起きた場所だ。

火と水と、即ちカミの禊祓という訳だろうか。

福知山城の初代城主の明智光秀は現在でも現地では人気が高いが、
それだけでなく、当地にはカミの禊祓に符合する史跡が多々ある。

同市に鎮座する梅田神社には怪人、武内宿禰が祀られている。
また、元伊勢内宮とされる皇大神社と、元伊勢外宮とされる豊受大神社が
揃って鎮座している。
さらに、天岩戸神社も存在する。ここは皇大神社の奥宮とされ、
皇大神社、豊受大神社とともに元伊勢三社と呼ばれている。

今回、タケミナカタとセオリツ姫、ハヤアキツ姫、息吹戸主、ハヤサスラ姫は
福知山に残るカムヤマト朝のツミトガを祓ったのかも知れない。
祓戸大神総出演だ。

カムヤマト朝は単一の血統では無い。

初代神武=ウガヤ第73代から9代開化天皇までが一区切りで、
10代崇神から14代仲哀天皇までが一区切り、そして、15代応神天皇から
25代武烈天皇までが一区切りで、26代継体天皇から今上の流れとなっている。
が、皇統は霊統であり、血筋は全く関係ない。

但し、個人的には、カムヤマト朝は第121代孝明天皇が最後と思っている。
これについては、いずれ述べたい。

いずれにせよ、10代崇神によって人為的に伊勢信仰が造られて、神々の世界は変質した。

出口王仁三郎も岡本天明も、伊勢信仰によって封印された神々の想いの語り部
と言って良い。

伊勢信仰の原点が色濃く残る福知山が徹底的に洗われたのには、かような訳が有る。

家康の命を受け、福知山の領主たる明智光秀=天海僧正が、
我が榛名神社を再興したのは正に神はかりである。

徳川家康と天海は、榛名の神々の封印を解いたのだ。

外来神=物質文明の天下は風前の灯である。

本来の、かんながら=神々と生きとし生けけるものの楽園の復活は近い。





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2013年08月05日

ほつま伝より

久々のブログ更新である。
今、ハルナが色々忙しいのでヒマが無い。良い意味でだ。

今月3日、秋篠宮の次女、佳子様が米国にてホームステイすべく、
御出発された。ハーバード大学の教員宅に滞在するそうだ。
奴らは確実に洗脳工作を仕掛けてくるだろうが、サクヤ姫の霊統を継ぐ
佳子様は、逆に奴らを改心させるかも知れぬ。

今日は、ほつま伝の話だ。

イザナギの弟、クラキネには持子と早子という娘がいた。
姉妹は共に北殿に住んでいたが、ここは日当たりが悪く、魔に取り憑かれていた。
当時の、すめらみことは天照大神である。もちろん男神だ。
魔は大蛇を産み、攻撃の機会を狙っていた。

魔は皇室を潰すべく持子早子姉妹を利用した。大蛇は姉妹に乗り移った。
姉の持子は天照大神を誘惑し皇后に就こうとしたが、セオリツ姫ホノコが皇后となった。
妹の早子はスサノオを誘惑して交わり、セオリツ姫を廃すよう、そそのかした。
単純なスサノオはセオリツ姫を討つと息巻いていた。

この企みに気付いたセオリツ姫の妹の花子姫は姉に通報した。
セオリツ姫は直ちに、持子早子姉妹を筑紫の宮へ移した。

ところが、姉妹は筑紫を脱出し、早子はヤマタノオロチに、持子は九頭オロチに変化した。

一方、スサノオは姉妹が追放され怒り狂い、乱暴狼藉を働き、花子姫を切り殺した。
天照大神は岩屋へ籠ってしまった。これ以降は、古事記と同一の展開だ。

出雲へ流されたスサノオは、かつて愛した早子とは知らずにヤマタノオロチを討った。
スサノオにとっては、永遠のトラウマとなってしまった。

ここからは、私個人の憶測推測である。

持子は戸隠神社に身を潜めている。と言われているが、私は、そうは思わない。
奴は、蛇となりアダムとイブにリンゴを食わせたに相違ない。
一神教世界を欺瞞と闘争と破壊と殺戮の暗黒世界に変えた後、持子は我国へ再上陸した。

持子の願いはただ一つ、皇統の終焉である。

諸君。

心せよ。神々と共に九頭オロチを討つべし。それは、我ら神の子のお役目である。


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2013年07月29日

スサノオの顕現は近い

昨日の28日未明より山口県と島根県で「経験のない大雨」が降った。
両県各地では甚大な被害が出た。
山口県萩市須佐では1時間雨量の記録を更新した。

天変地異は偉大な鎮魂の道場で、俗身が霊體と化する唯一の禊場である。

高天原は須佐を禊場とした。全世界人類社会に知らしめるべく。
須佐とはスサノオと縁深い土地。スサノオの御分霊の宿る聖地である。

これより、大正天皇の大嘗祭から100年後の2015年迄、スサノオの荒魂が
全てを討ち祓うのだ。

どうやら、事態は大本=出口王仁三郎の予言通りに推移しつつある。

王仁三郎は自らをスサノオの化身と位置付けた。
あらゆる罪穢れを一身に負うて、時空の彼方に消えたスサノオが、
再び現われる日は近い。

それは大本の復権をも意味するだろう。


大本といえば、私は奇妙な体験をした事があった。

かつて、大本関係者に請われ、彼をハルナに案内した。
榛名神社参拝後、彼は榛名湖に水を注いだ。

それは、綾部の泉の水だった。綾部の泉と榛名湖は繫がっているという。

その7日後、スマトラ沖で大地震が起こった。
2004年12月26日の、あの大津波を引き起こした地震だ。

それは、スサノオの荒魂の為せる業だったかも知れぬ。

世界の禊祓の兆(うらかた)である。


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2013年06月23日

イワナガ姫とサクヤ姫

昨日22日、ユネスコの世界遺産委員会は富士山を世界文化遺産に
登録する事を決定した。

これは明らかに何らかのサインだ。

当初、反対意見も有った三保松原も含まれる事となった。
三保松原を除外するな。と強く主張したのはドイツだったそうだ。
さすがは、スサノオの子だ。万事善く心得ている。

我が霊峰富士にはコノハナノサクヤ姫が御鎮座しクニを守護されている。

ユネスコと言えば、闇の世界権力の重要な洗脳教育機関である。
追い詰められた奴らも、いよいよサクヤ姫の御稜威にすがろうという事か。
が、穢れは悉く討ち祓われるのみだ。今さら命乞いをしても無駄だぞ。

ところで、百人一首の序歌には王仁博士の作と伝えられる歌が詠まれている。

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花

この歌は、応神天皇崩御の後、菟道稚郎子皇子(うじのわきいらつこのみこ)と
大鷦鷯尊(おおさざきのみこと)が互いに皇位を譲り合っていたものの、
結局、難波高津宮において大鷦鷯尊が仁徳天皇として即位した事を寿ぎ、
詠まれたとされている。ちなみに「この花」とは梅と言われている。

が、いらつのみこが、おおさぎ尊に暗殺されたという説もあり、
いらつのみこの師である王仁博士が抗議の意を込めて詠んだ。とも謂われている。

この花が梅を意味するとは言うが、春には桜も咲く。

そう。咲くやこの花とはコノハナノサクヤ姫に他ならない。

百人一首とは奇怪な歌集である。古事記同様、暗号が散りばめられている。
序歌にサクヤ姫を詠んだ歌を持って来たのには、何か重要な意味があるのだ。
仁徳天皇即位の裏には、壬申の乱に匹敵する、皇統の危機があった筈だ。

危機を救ったのはサクヤ姫である。

そして今、危急存亡の瀬戸際にある人類を救うのはサクヤ姫かも知れない。

奴らは、その事を理解している。
永きに渡り富士山の登録を拒んできた奴らが豹変したのには訳がある。

同時に、サクヤ姫と共に大切な御役目を担うのは、イワナガ姫である。
ニ二ギ以降の、すめらみことの寿命を縮めた事は事実らしい。怖い怖い。

イワナガ姫は別名をコケムス姫という。
君が代に詠われている通り「こけのむすまで」クニを守護されるのだ。

榛名神社の奥宮、榛名山=榛名富士の山頂の榛名富士山神社には、
そのイワナガ姫とサクヤ姫が揃って祀られている。

ハルナの御用とは両姫神の顕現かも知れない。






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2013年06月06日

尖閣の件

野中広務元官房長官による「尖閣棚上げ」発言が物議を醸している。

日中国交正常化時に尖閣問題は棚上げにすることで両国が合意したそうだが、
当時の状況を鑑みれば、それは至極当然だろう。
しかし、国有化された現在、何故、カビの生えた古い話を持ち出してくるのか
妙な男である。
彼の出自は原日本人系であるはず。国益を損なう言動は厳に慎むべきである。

尖閣に関し、巷では誤った情報が出回っている。
そろそろ話をすべきかも知れない。

私は、古賀辰四郎から数えて4代後の子孫である。
古賀家と当家の縁は既に述べた。
http://kakizoe.seesaa.net/article/318275124.html?1370506199

そもそも、辰四郎は家出同然で故郷、大川を出て行った。
親戚は皆心配していたが、ある時、茶の商いを始めた。と連絡が有り、
一同は安堵した。が、世間で言われている程、財を為したわけではない。

尖閣の開拓は、辰四郎の個人的野心などでは決して無い。
鰹節の加工なら石垣島の方がはるかに楽だ。
条件の悪過ぎる尖閣で行なう必要は無い。

それは、明治政府の密命であった。
戦略上の要衝の地である尖閣諸島は何としても押さえる必要があった。

明治政府は、大川の干拓と新田開発に功績の有った古賀家に、
開拓の許可と莫大な資金を与えた。

何故、古賀家なのか。
ここからは私の想像だが、古賀家の主君、立花家による働き掛けがあったやも
知れぬ。筑後とは、その様な土地柄である。立花家の末裔は麻生太郎だ。

さらに、明治政府に尖閣確保を命じたのは大英帝国に他ならない。
国有では無く私有とする様、知恵を付けたのも奴らだろう。

これから仕掛ける戦争に備え、尖閣を橋頭保とする必要があったのだ。
その戦争とは、日露戦争である。

戦後、米国は沖縄を支配している時も、尖閣には手を付けなかった。
尖閣開拓の経緯を知っていたからだ。

以上の話を、田中角栄と野中広務が知っていたかどうかは判らない。


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