いつも閲覧有難う御座います。 柿添です。一つ御願いがあります。 「目下、我が国は妖悪不浄の雲に覆われ、 政治、経済、社会その何れに於いても、 未曾有の国難に瀕している。 多くの日本人は、己の神を見失い、 未来になんら希望を見出せず、 無為無策のまま時代の波に翻弄されている。 かかる状況に在って、我々神の子は 肇国の原点に立ち返り、天孫降臨以来 脈々と受け継がれてきた、かんながらの 精神に則り、神のみはかりを尊び、 祖先の恩に報いるべく正しき道を歩み、 互いを尊重し、共に生きる喜びに溢れた、 人類の理想郷たる豊葦原の瑞穂の国、 神国日本の再興を招来すべく 一層奮励努力せねばならない。 我々は、道を見失い失意の淵にある わけみたまに、共通の行動原理を示し、 連帯の絆を育み、さらにより一層 強固なものとし神国日本の再興を招来する 原動力としたいと思う」 そこで今後、日本復活に向けて共に知恵を 出し合い活動する同志を求めます。 活動母体は「日本復活講」と名付けます。
老若男女問わず、我こそはと思う方は、 下記へ送信願います。 宜しくお願い申し上げます。 pripia@nona.dti.ne.jp

2015年03月05日

出雲復活

久々の更新である。

万象は神々の意思の顕れであり、私如き一御師が、あれこれ言うのは
おこがましい事ではあるが、これだけは言わずにはおれない。
後でイワナガさんに叱られそうだが。

最近の報道では、例のイスラム国を「自称イスラム国」と表現しているが、
イスラム国は国家以前の原初的な「クニ」の姿である。
人々の想いが行動が集約されクニは深化し国家となった。
故にイスラム国と形容して良いと思う。あくまでも私見だが。

スサノオ自ら種を撒き、慈しみ育てたはずの物質文明は、拝金主義と弱肉強食の
鬼畜世界と化した。
事ここに至っては、おびただしい人柱が生まれようとも、全てをぶち壊し
立て替え立て直しをせねばならぬ。

こうしてスサノオは鬼神となった。

イスラム国は、そんなスサノオの荒魂の発動の顕現である。

彼らの行状は決して許されたものではないが、あまねく全てを一新する破壊力を
秘めている。

神を知らぬアシュケナージは、為すすべも無い。

一方、スサノオに呼応して動き出した神が在る。

川崎で13歳の少年が惨殺された。
少年は隠岐国西ノ島町で育ち、家庭の事情で川崎に移り住み殺された。

西ノ島町には隠岐国一宮「由良比女神社ゆらひめじんじゃ」が鎮座する。
由良比女神社の御祭神は須世理毘売命スセリビメ。スサノオの娘にして大国主の妻である。

神々は大事を為さんとする時、必ず人柱を求めるものだ。
西ノ島町育ちの少年はスセリビメに呼ばれ、ハルナという名の日本人は中東にて
スサノオに召還された。

いよいよスセリビメが動き出した。怖い怖い。
大国主も、のほほんとしてはいられまい。

3・11に国常立の結界は破れた。以来、続々と、封印された国津神の結界は
壊された。もはや誰にも高天原の決定を覆す事は出来ない。

出雲国復活か。やがて千家の子が皇室に入る日が来るやも知れぬ。

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2015年01月20日

カインとアベル

イスラム国が日本人二名を拘束し、72時間以内に身代金を支払わなければ殺害する。
との警告が、ネット上のビデオにて公開された。と、本日、AP通信が報じた。
これも、お約束だ。

平成16年にもイラクで日本人三名の拘束騒ぎがあったが、
彼らは世間知らずの田舎者に過ぎず、今回は明らかに位相が異なる。

一神教世界の神々の争いに我国を引き込もうとする勢力が動き出した。
何が何でも聖書の預言を成就させたいのだ。

ユダヤ教からキリスト教が生まれ、さらにイスラム教が派生した。
ユダヤ教を母体とするキリスト教とイスラム教は謂わば兄弟である。

兄のキリスト教はカインよろしく神からの独立志向を持つが、
弟のイスラム教はアベル同様、神に従順である。
が、カインがアベルを殺したように、キリスト教がイスラム教を潰す事は不可能だ。
両者は合わせ鏡の如く、どちらが欠けても成り立たない。

よりによって本件は、安倍首相がイスラエル滞在中に発覚した。
タイミングを合わせたとしか思えない。
かんながらのクニの首相がユダヤ教の総本山を訪れる、この時を待っていたのだ。

ユダヤ教は「かんながら」から誕生した。ちなみに神道は更に後だ。

神々の争いに終止符を打つのは、神国日本に他ならない。

安倍氏は其の辺のところ判っているのか?田布施人なら判るはずだ。

日の出る方角の王たちが大ユフラテを越える日は近い。
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2014年12月22日

朔旦冬至

本日、12月22日は19年に一度の朔旦冬至の日である。
旧暦では朔日(ついたち)を新月の日に定めていたが、今年は冬至と重なるのだ。

冬至は太陽の力が最も弱くなる日。太陽は冬至を境として勢いを取り戻して行く。
新月は月齢零。これより満月に向けて成長が始まる。

本日は一陽来復の日。陰は極まり陽と成るのだ。

太陽は日本。月はユダヤ=スファラディ。共に復活なるか。
それは神のみぞ知るところだが。

来年は2015年。大正天皇の大嘗祭から、満100周年である。
伯家神道の預言が如何なる形で顕現するか。
いずれにせよ、クニの行く末を決する大事な年となるだろう。

余談だが、今日、一か月ぶりに榛名神社を参拝して来た。
神社は氷点下2度だった。が、それ以上に色々な意味で厳しい寒さだった。
おみくじは第九番大吉だった。
重要なのは大吉ではなく、九番だった事だ。
九は最上の数。究極至高を意味する。

来年は私にとっても大事な一年となろう。
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2014年12月19日

ゴグ・マゴグの戦い

久々の更新である。

我国内では、神々=高天原の計画は予定通り順調に進行している。
が、国外では人為的に計画の妨害が為されている。

米国とキューバが国交正常化に向けて動き出した。
お膳立てをしたのは、バチカン=イエズス会である。
キューバは旧ソ連時代はもとよりロシアとは関係が深い。

イエズス会はロシアのキューバへの影響力を削ぎたい様に見える。

一方、ロシア通貨ルーブルが急落した。もちろん人為的に行われたのだ。
アシュケナージを中心とする国際金融帝国軍の仕業だ。

イエズス会は帝国軍のお先棒を担いでいる。バスクの精神は消え失せた。

キューバの話とルーブル急落はリンクしている。目的はロシア潰しだ。

エゼキエル書38章には「ゴグ・マゴグの戦い」が記されている。
ゴグとはメシュクとトバルの大首長の意。
メシュクはモスクワ、トバルとは一説によるとグルジアのトビリシだそうだ。
大首長は原語でロシュと記述され、ロシアと一致する。
そしてマゴグは、もろにロシアという意味だ。

エゼキエル書では、ゴグが周辺諸国を率いてイスラエルに攻め込むと記している。
が、ゴグの軍勢はイスラエルに敗北するとも記されている。

イスラエル=アシュケナージはロシアが預言通り攻撃を仕掛けてくる。
と、本気で信じているとしか思えない。
さらに、預言に反して自分たちには勝ち目が無い事も判っている。

今回のロシア潰しの謀略は、イスラエルの焦りだ。
だが、彼らは重要な事を忘れている。

来たるべきハルマゲドンに於いて、日の出る方角の王たち=日本=高天原神軍が
大ユフラテを越えて悉くサタンの軍勢=アシュケナージを殲滅するという事を。

プーチンよ案ずるなかれ。

万象は神の試みの中に在る。神を信ぜよ。己を信ぜよ。いずれハルナへ来い。
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2014年10月25日

神道の根源

我国を代表する哲学者の西田幾多郎ならびに和辻哲郎は、共に仏教思想に
強い影響を受けていた。
東洋思想を下敷きにした彼らの哲学は西洋哲学と一線を画すものではある。
が、仏教は一神教的な価値観を有し、自己と異なる他者への寛容の精神は
不十分であった。
そこには、仏教とそれ以外の思想を分けて、あくまでも仏教の優位性を強調する
立場が見受けられる。
これは、キリスト教原理主義に見られる二元的価値観に近い思想である。

二元的価値観とは、二元論に立脚した価値観であり、多元的価値観とは、
多元論に立脚した価値観のことを言う。
二元論とは、もともと哲学の用語で、世界に存在するあらゆる事象は、すべて二つの
原理で成り立っているとする。
これに対して、多元論とは、二つ以上の複数の原理の存在を認めるものである。
我国の価値の根源を為す神道思想そのものである。

そして、近代の哲学は、この二元論を支持する立場にある。
デカルトは、その著書「省察」において「我思う。故に我あり。」と述べた。

「思う」という行為は意識であり、精神である。「我あり」とは、精神とは独立した
物質である存在の「我」を認識したという事である。
つまり「我」の中には精神と物質の二つの存在が確認される。
これを、心物二元論と言う。

近代の哲学は、デカルトの心物二元論を契機として発展してきた。
と言っても過言ではない。
しかし、現実世界の全てのことがらを、精神と物質のたった二つの原理で
説明することは不可能である。
さらに、原理が二つしかない場合、一方を肯定すれば、他方を否定せざるを得なくなり、
否定された側は、必ず復讐に打って出る。
このように、二元論に立脚した二元的価値観の世界は、常に異なる二つの原理の
闘争の場となる危険性を孕んでいる。

現在、世界では、パレスチナにおいてユダヤ教とイスラム教が、中東ではイスラム教と
キリスト教が戦争の只中にある。
これら一神教はまさに二元論の世界観しか持ち合わせてはいない。
事実、歴史的に見て、大戦争の勃発はすべて、一神教世界に端を発している。

神道においては、世界を、異なるたった二つの原理の対決の場とは捉えず、
多様な原理が等しく並び立つ場である。と考える。
これらは互いに切磋琢磨し合い、高め合い融和し、さらに新しい原理を生み出し、
豊かな人類社会を創造する原動力となる。
我が国に大陸から仏教が伝来した際、神道はその大いなる寛容の精神でもって、
これを迎え、共に生きてきた。

この「共に生きる」という考え方こそが、神道の重要なテーマである。
神道においては、森羅万象生きとし生けるもの全てに、神が宿っているとされているが、
この本当の意味は、森羅万象生きとし生けるもの全てが、平等に尊重されるべき貴い
命であるということなのだ。
全てとは、まさに全てである。人間も動物も植物も、山や海など地球の自然も大宇宙の
星たちも、あまねく全てである。

神道の世界においては、あらゆる人種も宗教も否定されることはない。
一神教世界は二元的価値観から脱却し、神道の多元的価値観に学ぶべきだ。

神道に於いては、そもそも民族に優劣の差を認めない。
個々の民族は、それぞれの伝統・文化・宗教を堅持し互いの原理を尊重し、
平和のうちに共存する。ということが在るべき姿であると考える。

これを可能にするのは、神道の大いなる寛容の精神に他ならない。

神道に於いては、異なる価値観は神々によって結ばれ、世界は、多様な原理が
等しく並び立つ場であると考える。
そして、それぞれの原理は、平和な交流によって高め合い、融和し、
さらに新しい原理を生み出すものである。
新しい原理こそが、豊かな人類社会を創造する原動力となる。

ところが現実の世界は、これとは全く逆の状況にあるのだ。

神道は、現在、確実に破滅へ向かって突き進む人類にとって、最後の希望であり、
今後、我々の向かうべき地平と拠って立つべき処を明確に示している。



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2014年09月28日

大噴火

昨日9月27日、木曽御嶽山が噴火した。
大量の噴煙と火山灰が、多数の登山者に深刻な被害を及ぼした。

実は、今月の3日に、仲間の御師と共に富士山に登った。
というのも、来年は登山出来なくなるとの情報を得た為、
急遽、登る事にしたのだ。
富士山に先んじて、御嶽山が噴火するとは思いも寄らなかったが、
これも、昨年より続く、火と水と風の祓の一環かも知れない。

御嶽山王滝口頂上に鎮座する御嶽神社奥社の御祭神は、
国常立尊・大己貴命・少彦名命の三柱である。
国土の始源神たる国常立尊と天孫降臨以前にクニの礎を築いた出雲の神が
御嶽山を守護されているのだ。

3・11東日本大震災によって天津神に封印された国常立尊の結界は決壊した。

結界を壊したのは、火と水と風の神である。それ以後、国常立尊の御仕業の
遂行を助けるべく、数々の祓を続けて来たのだ。

今回の大噴火は、国常立尊の始動の合図である。

昨年の、出雲と伊勢の同時遷宮により、天津神の優位は完全に崩れた。
これは第二の国譲りといっても過言では無い。
国造家と皇族の婚姻が、それを象徴している。

これより国常立尊を総大将として国津神による立て替え立て直しが加速するだろう。

カムヤマト朝が、その御役目を終える日も近い。

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2014年08月18日

今年も福知山が大変だ

昨年の8月、福知山の花火大会で大爆発事故が起こった。
翌月には、台風18号による豪雨で市内の広範囲が浸水した。
私は、これに対し、火と水(カミ)の祓ではないかと記した。
その記事は、神々の御仕業に触れる事となるので、現在は非公開となっているが、
一つ述べておかねばならない事柄があるので、敢えて記事化する。

今年もまた、福知山が大水害に見舞われた。
たまたま昨年と気象条件が似通っていたからそうなった。
という、ありきたりな説明で、納得してはいけない。

福知山市には、元伊勢内宮とされる皇大神社と、元伊勢外宮とされる豊受大神社が
揃って鎮座している。
さらに、天岩戸神社も存在する。ここは皇大神社の奥宮とされ、
皇大神社、豊受大神社とともに元伊勢三社と呼ばれている。
此処には伊勢信仰の原点が色濃く残っている。

そういえば、福知山を一時、治めていたのは明智光秀=天海僧正だった。
天海さんは家康の命により、上野寛永寺の莫大な資金を投入し榛名神社を再興した。
それは、当時の家康が群馬者に入れ替わっていた故だ。

榛名神社は人為的に創られた伊勢信仰とは一線を画するウガヤの文明圏である。

伊勢信仰の巣窟から出てきた天海さんが、ウガヤの社を立て直すとは興味深い。

おっと、話がそれた。私が言いたいのは榛名の事では無い。

福知山は、かつての丹波国である。
丹波から生まれ出でた怪人といえば、そう、出口王仁三郎である。

出口なおが火なら、王仁三郎は水である。カミの戦。水の祓は止む事は無い。

王仁三郎に宿る神はスサノオ。スサノオとアマテラスの和解は未だならず。
伊勢信仰=アマテラスの原点たる福知山の祓は執拗に行われるだろう。

王仁三郎の御神業は未だ続く。

天変地異は鎮魂の道場にして、大いなる禊場である。

さて、何の為の、鎮魂か?

それは、艮の金神=国常立尊である。

榛名湖には、切り刻まれた国常立尊の體の一部が沈んでいる。
大本関係者によれば綾部の泉と榛名湖は繋がっているそうだ。

榛名神社の奥宮の御祭神は国常立尊。
さらにニギハヤヒ、イワナガさん、サクヤ姫が脇を固めている。

故に榛名神社再興の担い手として福知山から来た天海さんが選ばれたのだ。
入れ替わった家康=世良田さんは、この事を熟知していたに相違無い。

新田一族、恐るべし。群馬、恐るべし。

またまた、話がそれた。

天津神=伊勢=カムヤマト朝によって封印された神々は必ず復活する。

本来の日本へ還る為に。神々と生きとし生けるものの楽園を再び現出する為に。




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2014年08月15日

初めにクニありき

本日は、終戦の日である。

今年は69回目で来年は70回目だとか、やたら数字を気にするバカがいるが、
歳を数えているだけでは、何も解決しない。

我々は敗けたのだ。1000年経っても敗けた事実は消えない。
本来なら、もういっぺん戦って勝つしかないのだ。

我国を取り巻く情勢が、日に日に厳しくなっている現状を
御英霊は、どの様な想いで御覧になっておられるだろうか。


ツランの中核国家たるロシアが、根なし草の邪悪な勢力の攻撃に晒されている。
それは、ロシアが神国日本と共に歩むことを良しとしない勢力である。

国を破壊され流浪の民となった邪悪な勢力は、豊かな国に寄生し養分を吸い取り
吸い付くした末に、再び新たな獲物を求めて流浪する。

我々の想像を超えた世界がそこに在る。

イザナギとイザナミが、みとのまぐわいを遊ばして、初めに産んだのはクニだった。
温暖な気候と葦の生い茂る肥沃な大地と豊かな漁場を持つクニを、神よりも先に
産んだのだ。

後から、産まれてくる神々と、我ら神の子たる人間と生きとし生けるものが
何一つ不自由しないように豊かなクニを産んでおいて下さったのだ。

クニとは、闘争の末に打ち立てられたものなどでは決して無い。

神国日本は、初めから存在していたが故に、我々日本人はクニを守るという
意識が希薄といえば希薄だった。

大東亜戦争の最中、クニを守る気概に欠けた出来損ないも少なからず存在した。
現在も、依然として生き残っている。穢れの極みという他無い。

今年は、我国にとって、大きな転換点となるだろう。

クニを守るために戦う準備に着手したという意味で。

戦争を引き起こすのは根なし草である。
奴らが存在する限り、戦いの準備は怠り無く進めるべし。
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2014年08月07日

武蔵国一宮 氷川神社考

明治3年、大教宣布の詔により神官と僧侶の統括が為され、
明治6年、大教院が設立されたが、仏教側が離脱し、明治8年に大教院は
解散を余儀無くされた。
同年、全国の神官が神道事務局(神道大教の前身)を設立し神道教化に乗り出した
ものの、程無くして、事務局の御神殿に出雲の大国主大神を祀るか否かで、
伊勢派と出雲派の争いとなった。(祭神論争) 
本来ならば我国の霊的防衛の観点からは、顕幽の主祭神を共に祀るのが道理である。
平田派は、その様に主張し同調する神官も多かったにも関わらず、
結局、明治天皇の勅裁により、大国主大神は祀られる事は無かった。
出雲にとっては国譲りに続く、大きな屈辱であった。

何故、明治天皇は出雲の神を忌避されたのか。

カムヤマト朝はアマテラスの霊統であり、皇室は、スサノオの霊統を畏れている。
としか謂い様が無い。それは現代の皇室においても同様である。

先日、高円宮典子様と出雲国造千家国麿氏の御結婚が発表されたが、
アマテラスとスサノオの和解は未だ為されてはいない。

皇居の北方、さいたま市大宮区に、皇室が畏れるスサノオを祀った氷川神社が在る。
大宮氷川神社は東京と埼玉県内の200余りの氷川神社の総本社である。
本来の氷川信仰は見沼の水神信仰であったと伝えられるが、出雲国造の支族である
武蔵国造が第13代成務天皇(景行天皇の皇子)の御世に大宮の地にスサノオを勧請し、
創建された。

氷川とは出雲の簸川(ひかわ)の意である。

出雲族が何故、この地に出雲の神を祀ったか定かでないが、
氷川神社の摂社の門客人神社には蝦夷の守護神アラハバキが客人神として祀られている。
カムヤマト朝によって制圧された蝦夷の神を、同じくカムヤマト朝に虐げられ続けてきた
出雲族が祀るとは、心情的には理解できる。
但し、明治天皇は大宮氷川神社を勅祭社と定め、以後、皇室は行幸を続けている。
ところで、氷川神社の宮司家、東角井家は物部氏の流れを汲むと伝えられている。
とすれば、大宮氷川神社が勅祭社として優遇されたのも当然と言えば当然である。

物部の祖はニギハヤヒである。スサノオ、アラハバキ、ニギハヤヒ。
いずれもニ二ギ降臨以前の源日本の神々である。
大宮氷川神社の存在意義が今後、重要性を増す事は必至である。

余談だが、大宮氷川神社の東側200m程の場所に、尖閣列島の前地主、栗原國起邸がある。
栗原家は大宮の大地主である。彼に一時、尖閣が託された理由も氷川信仰と関係あるはず。
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2014年05月14日

不運な善人と幸運な悪人

古今東西、誰が聞いても納得出来ない話がある。

誠を尽くし日々を生きてきた何の落ち度もない善人が、
突然の不幸に見舞われたり、人を人とも思わない様な
不誠実な生き方をしている悪人なのに、やる事為す事
上手くいったりすることがある。

万象は神の摂理(みはかり)であり神意の顕われである。
しかし、摂理によって善人が甚大な被害を被る事に対しては
やりきれなさを感ぜずにはいられない。
実は、この事は古より多くの人々が抱いてきた疑問である。

何故、善人が損をして悪人が得をする。などというおかしな
事が起こり得るのか?
今まで世界の様々な宗教が、この難問に答えようとしてきたが
まだ結論には至っていない。

我が国に於いては、江戸後期の国学者が一応の解答を与えた。
本居宣長は、善人が不幸になり悪人が幸福になるのは
悪神のしわざであるとした。
これに対し、平田篤胤は、人が今、生きている現実世界(顕世)
における幸不幸は神の御所為(みしわざ)であり、全く以って
予測不可能で善人悪人を問わず起こり得るものとしている。
万象は全て神の試みの中にあり、神意は誰にも慮る事は
できない。という事か。

諸君。

神は、突然の不幸に襲われても自分を見失わず、
より一層奮闘努力する者を正当に評価する。
神は、これは。と思う人間に過酷な試練を与え、それを見事に
乗り越えてきた者を、更なる高みに引き上げるのだ。

自己と他者を比較して一喜一憂しているばかりでは福は逃げる。
比較には何の果実も無い。残るのは、ねたみのみだ。
ねたみが憎しみを産み、魔に魅入られて自滅する。

如何なる境遇にあろうとも、己が神の子である事を忘れる事なく、
神より与えられた御役目を誠実に果たし、常に清く明るく直く正しい道を歩め。
posted by 柿添先生 at 11:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする